「仁義なき闘い〜九月堂阿鼻叫喚〜」


 ある晴れた日の昼下がり。

 不思議雑貨屋「九月堂」は定休日だった。

 定休日などあったのか。都合が良すぎではないのか。

 疑問は降って湧いてくるが、男なら細かい事は気にしてはいけない。

 でも女性なら繊細でもいいかもしれない。



 からんからん。

 開閉音に共鳴してドアを抜ける影三つ。

「よう」

「彩ちゃん、こんにちわー♪」

「お邪魔するね、彩ちゃん」

 丘野真。丘野ひなた。鳴風みなも。

 九月堂の店主、月代彩のとりあえず友人たちである。

「……どうぞ。部屋に案内します」

 感情の変化に乏しい表情。抑揚のない声。これが彩のデフォルトだ。

 間違っても、やかま進藤さんのようにはならないので注意しよう。



 シンプルに整頓された部屋。

 彩、真、ひなたが室内に入ると、戸口に立ったままのみなもが声を上げた。

「彩ちゃん、台所借りてもいいかな? わたし、紅茶淹れて持っていくから」

「みなもがか?」

「う、うん。one dayのマスターから美味しい紅茶の淹れ方のコツを教わったから、試してみたいの」

「わぁー、そうなんだー」

「いいかな?」

「……構いませんよ」

 はしゃぐひなたとは対照的に、あくまで淡々とした彩。

「ありがとう。それじゃまこちゃん、二人とも、後でね」

 にこりとした微笑みを残し、部屋を出て行くみなも。パタンと後ろ手に閉めた戸を背に、暫し無言。

 そして、ゆっくりと上げた顔は普段見えない不敵な面構えだった。

(ふふふ、彩ちゃん……澄ました顔をしていられるのも今のうちだよ)



 台所。ティーポットとカップを前に、鳴風みなもはにやりと唇を歪ませる。

「まこちゃんのハートを射止めるのは、わたしひとりでいい……」

 まるで「ライダーはひとりでいい」と言わんばかりの超論理。

 最近、まこちゃんはミステリアスな彩ちゃんに惹かれ始めているようだ。

 比類なきまこちゃんゲッターの名にかけて、それは絶対に許されない。

 邪魔者は……消す!

「この『絶対に便意を催す下剤』をカップに混ぜれば!」

 この日のために、一ヶ月前にここで買ったものだ。

 よもや自分の店の商品で苦しむ事になるとは夢にも思わないだろう。

 コポコポと四つのカップに注がれる紅茶。その中の一つに、絶対に便意を(略)が混入された。

「ふふふ、まこちゃんの前で幽鬼のように青ざめた顔でトイレに駆け込む彩ちゃん――これでまこちゃんも愛想をつかして目を覚ますよね♪」

 そしてそこからは、わたしの出番。

 るんるん気分でカップを乗せたトレイを手に、階段を上るみなも。

 頭の中では真が自分に告白するところまで妄想が進展していた。



「わー、みなもお姉ちゃんの淹れた紅茶、美味しそうだね♪」

「――――はっ!?」

 ひなたの無邪気な声で、みなもの意識は現実に引き戻された。

 どうやら自分が部屋に入ったことも気付かなかったらしい。

 既に自身も含めてテーブルについており、いつの間にか四つのカップも各自の手元に移動していた。

(し、しまった……ついうっかりまこちゃんとのベッドシーンまで妄想に耽ってたよ。げ、下剤入れたのどれだったかな……)

 内心の動揺を隠しながら、冷や汗を流すみなも。

 まさかこんなケアレスミスで「ロシアンラーメンのり」ならぬ「ロシアン下剤入り紅茶」な状況に陥ってしまうとは――

 そして、みなもを除く三人がカップを口にして紅茶を飲み始めた。

 次の瞬間。

「う……うごおおぉっ!? き、急に物凄い勢いでお腹がぁぁぁぁぁ!」

「ま、真さん?」

「きゃああああああっ、まこちゃんーーーーーっ!!」

「お、お、お兄ちゃん、どうしたの!?」

 ぐるぐるぐるるるるるるる。

 お腹を押さえながら、ぷるぷると激しく痙攣する丘野真。

 合掌。



 幽鬼のように青ざめた顔でトイレに駆け込んでいった真を見送った後、部屋に戻ったみなもは、がっくりと項垂れた。

 ひなたが首を傾げる。

「お兄ちゃん、どうしたのかなぁ?」

「そ、そうだね……」

 ううっ、ごめんね、まこちゃん。まさかこんなことになるなんて。

 ふと見ると、彩の涼しい無表情。

(ぬあーーっ! 彩ちゃん、よくもまこちゃんを! 絶対に許さないんだから!!)

 人、それを逆恨みと言う。

「どうしました、みなもさん。真さんが心配なのは分かりますが、とりあえず紅茶でも飲んで落ち着いた方がいいですよ」

「えっ、う、うん」

 彩に諭されるのも癪だが、ここは気持ちを落ち着けた方がいいだろう。

 そして次の手を考えよう。

 平静を装いつつ、みなもは自分のカップを手に取り、口にやった。

 と――

「ふごおあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「わーっ、みなもお姉ちゃんっ!?」

 突如巻き起こる激しい便意。先程の真と全く同じ状態で、ピクピクと全身を痙攣させる鳴風みなも。

 たまらずトイレに駆け込もうとして、足を止めた。

 いま、トイレにはまこちゃんがいる。
 ↓
 このまま駆け込んだら自分の恥ずかしい状況を晒す事に。
 ↓
 逆にこっちがイメージダウン。
 ↓
 マズー(゚Д゚)

「あ、あおぅっ……ひ、ひなたちゃん、わわわ、わたし急用を思い出したから……うう……先に帰らせてもらうね……うぐぐ、それじゃあっ!」

 言うなり、ひなたの返事を待たずにダッシュで部屋を飛び出して九月堂を後にするみなも。

 頑張れ、公衆便所まで無事に辿り着くそのときまで!

「ど、どうしたんだろうね、みなもお姉ちゃんも」

「きっと日頃の行いですよ」

 しれっとした表情で紅茶を飲む彩。

 流石のみなもも気付かなかっただろう。トイレに駆け込む真を見送っている間に、彩が彼女のカップに下剤を盛っていたということには。

 かつて、丘野夫妻と鳴風夫妻が協力して彩を追いつめようとした事があった。

 だが、追いつめているように見えて、実は逆に自分達の方が追い込まれていたのである。

 恐るべし月代彩。千年処女は伊達じゃない!

「あっ、彩ちゃん」

「なんですか」

 声をかけられ、彩はカップを持つ手を休めた。

 ひなたが目をぱちくりさせながら、言った。

「それ、さっきお兄ちゃんが飲んでたやつだよ」

「……えっ」

「お兄ちゃんのカップを片付けようと思って手繰り寄せてたら、みなもお姉ちゃんが部屋に戻ってきたから、彩ちゃんのカップの近くで手を引っ込めちゃって」

「……」




「真さんっ! まだですか!? は、早く出てくださいっ……お腹が、お腹があぁぁーーーーーーっ!!!」

 今にも死にそうな状態でドンドンとトイレのドアを叩く月代彩。

 そんな彼女の叫び声を耳に、ひとり部屋に残されたひなたは、きょとんとした顔でぽつりとつぶやいた。

「……みんな、どうしたのかなぁ」

 ――――日頃の行いである。

 (完)

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