「秋に散る桜」


「はつねじま?」

「あっ、私、知ってるよ。この前テレビで放映されてたから」

 眉根を寄せる少女の横で、ツインテールの少女がポンと手を打つ。

 すると、話を切り出した眼前の青年が、ぐっと拳を握り締めた。

「そうや、その初音島や。噂やと、そこには願いを叶えてくれる魔法の樹があるっちゅうことなんや」

「成程。私は普段テレビを見ないものですから……」

 少女は苦笑しながら人差し指を上に立て、

「それで橘さん。私に異存はありませんが、その魔法の樹とやらが見つかったら、何を願うつもりなんですか」

 と訊いた。

「決まっとるやないか、ハーレムを築いてあは〜んな毎日を送るんや〜!」

 青年のバックには、甘いハートマークや天使のラッパやらの壮大な円舞曲。

 そんな彼を二人の少女は生暖かく見つめていたのだった。

 名前をそれぞれ、月代彩、鳴風みなも、といった。



「あの人も、ハーレムなんていう幻を見るのはやめて、もう少し前向きになればいいんですが」

 初音島へと通じる大橋を走行中のタクシー後部座席。ボブカットの少女――彩が、窓に流れていく紺碧の空と、澄み渡る海を、ぼんやりと眺める。

 隣に座るもう一人――みなもは、ちら、と視線を向けて言った。

「ハーレムって、後ろ向きな考え方なのかなぁ」

「私には理解できませんね」

「うーん、もし私や彩ちゃんが男の人だったら、違ってくるかもしれないよ」

「……まあ少なくとも、すぐそばに、お互い無意識とはいえ想い合っている異性が存在するんですから、それを認めずに目をそむけるのは後ろ向きです」

 正面に顔を戻すと、街並みが肉眼で見える距離まで迫っていた。

「着いたようですね」


 ――初音島。
 
枯れない桜が一年中咲き乱れる不思議な島で、よくテレビの取材なども来る観光地である。

 この島の桜が枯れない原因は未だ不明の域を出ていないことで有名だ。桜が枯れなくなったのは七年前からとされている。

 そして、ここには、まことしやかに囁かれている噂があった。

 初音島の桜の木には、一本だけ魔法の樹があって、そこで真摯な願いをかければ、魔法使いがそれを叶えてくれるというのだ。



 タクシーを降りてしばらく歩いていると、並木道に差し掛かった。

 頬にそよぐ、さわやかな風と、舞い散る桜の花びらがとても気持ちいい。麦わら帽子に白のワンピースという彩の服装は、涼しそうでもあった。

「うわあ……もう秋なのに、本当に桜が咲いてる。それもこんなにたくさん」

 みなもが無邪気な子供のようにはしゃいで、秋桜の木々を見回す。白のシャツに赤ネクタイ、後者と同色のミニスカートがまぶしかった。

 そよかぜが左右に下りる彼女の髪を揺らし、それをひらひらと落ちる花びらが演出する。ひとしきり堪能したあと、みなもは彩に向き直った。

「それで彩ちゃん、どうやって探すの? 何かあてはあるの」

「どうやってと言われても……あてがあれば苦労はしませんよ」

 指先でつまんだ花びらに、ふっと溜息をかけて指を離す彩。

「まあもともと只の噂に過ぎませんし、適当に言い繕って、そんなものは無かったと言えば嘘にはならないでしょう」

「ええ〜っ、駄目だよそんなの。頼まれたんだから、少しはちゃんと探さないと」

「少しは、という時点で、みなもさんも本腰を入れているわけじゃないんでしょう?」

「あ……えっと……うう」

 図星を突かれ、途端におろおろと口篭もるみなもの仕種は可愛いといえた。

 彩は内心ドキッとしながらも、おくびにもそれを出さず、服に付いた花びらを払いのける。

「あの〜」

 間延びした声だった。

「あなた方は、もしかして、芳乃さんに会いに来られたんですか?」

 それが自分たちに向けられたものであると気付いて、ようやく二人は振り返った。

 そこに立っていたのは十代半ばかと見てとれる、やけにおっとりした雰囲気が全身から漂っている少女だった。

 背の高さはみなもとほぼ同じだが、顔立ちの幼さからして、年下のようだ。

 赤縞のブラウスの上に紺色のカーディガン、黒のロングスカートが落ち着いた感じに見える。チャームポイントは特大リボンに結ばれたポニーテールなのだろうが、首から下げた木琴の方がインパクトはあった。

「その芳乃さんというのは?」

「芳乃さんは魔法使いなんです。魔法の樹を通じて、みんなのお願いを叶えてくれるんですよ」

「!!」

 ハッとして顔を合わせる彩とみなも。

「今頃は桜公園にいると思うんですけど、よかったら私が案内しましょうか〜」
 笑顔で申して出てくる少女に、二人が遠慮する道理も無かった。

「棚からたこ焼きだね♪」とみなもが意気揚々と呟いた。



 桜並木を抜けていくと、唐突に、木琴を叩いて先導してくれている少女の足が止まった。

 素でのんびりした足取りであったが、急に立ち止まられるとバランスが狂う。

 何があったのかと正面に回りこんでみると、少女の両瞼は閉じられていた。器用というべきか、立ったまま眠っていた。

「しかも熟睡」

「……とんだ眠り姫ですね」

 何度も肩を揺すられ、ようやく少女は目を覚ましてくれた。

「寝不足?」

 と訊くみなもに、

「ちょっと幼なじみと会ってました……ごめんなさい」

 不可解な返事が返ってきた。

 間もなく景色は桜が満開の公園に変わり、薄紅色の桜花乱舞が目の前に広がる。

 ここが初音島の中央に位置する桜公園のようだった。

「あ、芳乃さんいましたよ」

 すべすべの手が指差す先に、ひときわ立派な大樹と、その下に佇む一人の少女の姿。

 それを認識した二人が、思わず丸い目をぱちくりさせた。

「あの娘が……?」

 みなもがきょとんとするのも無理はない。その少女は身長百四十六センチの彩よりも背が低かったのだ。まるで子供だが、もし魔法使いというのが本当なら、容姿だけで判断するべきではないのかもしれない。

「芳乃さん、お客さんですよ〜」

「うにゃ? ボクに?」

 やっぱり子供かな、と思ってしまうくらい、天真爛漫な声が響いた。

 金髪碧眼ツインテール。赤いジャンパースカートに、たっぷりとギャザーをとった白ワンピースのアンサンブルは、フランス人形のような愛らしさを秘めていた。

「それじゃ私はこれで〜」と、深々とおじぎして去ってゆく少女。代わりに、元気一杯といった足音が近づいてきた。

「ボクはさくらだよ、芳乃さくら」

「……初めまして、彩です。こちらは連れの鳴風みなもさん」

 軽く挨拶を交わして話を切り出そうとすると、さくらが遮るように言った。

「待って、ここまで来て結構疲れたんじゃないかな。話があるならボクの家でしようよ。お茶でも煎れるから」



 桜並木を歩きながら芳乃家へ向かう三者。

「ええと、さっきの人が芳乃さんは魔法使いだって言ってたけど……」

「うん、そうだよ。ボクのおばあちゃんが魔法使いでね、魔法の樹は知り合いの魔女に貰ったものみたい。それでおばあちゃんも数年前に死んじゃって、今はボクが魔法の樹の管理をしているってわけ」

「願いを叶えるって、具体的にはどんな?」

「そうだね〜、例えばさっきの人だけど……幼い頃に幼なじみの男の子が事故で死んじゃったんだよ。だから、夢の中でその幼なじみに会えるようにしてあげたの」

 故に、頻繁に睡眠状態が発生しているのだという。ただし、のんびりおっとり加減は彼女の地であるようなのだが。

「他にも、人と話すのが苦手な女の子に、他人の心を読めるようにしたり、外に憧れるお嬢様を想う飼い猫に、人化させて精神を移したり、色々だね」

 また、真摯であればどんな願いでも叶うわけではなく、あくまで人間が想像できる、信じられる限界の範囲であるということと、個人の願いなどは、さくらが直接関与しないと無理だという。

 そんなことを話していると、純和風な趣の家の前で足が止まった。

「ここがボクの家だよ。ささ、遠慮せずに入った入った♪」

 かなりの日本びいきらしく、通された部屋も見事な和室であった。

「じゃあボクはお茶を煎れてくるから、適当にくつろいでいてよ」

 そう言って、廊下の奥に姿を消すさくら。どうやらここは彼女の部屋らしいが、必要最低限のものしか置かれていない、何とも殺風景なのが意外といえた。畳敷きの部屋だが、何気なく最新型のパソコンがあったりするのがミスマッチである。

 畳の上に座ってぽつねんとする二人。みなもが沈黙を振り払った。

「ねえ、彩ちゃん。この島を歩いていて、私、ふと気になったんだけど……」

「みなもさんも気付きましたか?」

「うん……みんな、楽しそうな顔してたね」

 目に入る人という人の殆どが、楽しそうな表情や穏やかな雰囲気だったのだ。

「まるでお伽話に出てくるような夢の島みたい。大袈裟だけど、現代の理想郷という感じがするよ」

「そうでしょうか」

「彩ちゃんはそうは思わないの?」

「思いませんね」

 きっぱりと言い切った。

 面白くなさそうに、どこか自嘲めいたように、唇を歪ませていた。

「魔法使いであれ、魔法の樹であれ、人が創り出したもの――或いは、人が関与したものに、「完全」なんていうものは存在しませんよ」

「もう。すぐ彩ちゃんは、そんなひねくれたこと言うんだから」

「ひねくれ」

 呆気にとられる彩を置いて、みなもは縁側のふちに立つ。庭を彩る桜の木が風流を醸し出していて、ここに茶菓子がくれば、何か一句浮かびそうだ。

「ひねくれ……」

 もう一度つぶやき、納得いかないような顔を向けると、みなもは倒れていた。

 抱き起こして脈を取ってみると、正常。どうやら眠っているらしい。

「どういうことですか、これは」

 振り返りながら、いつの間にか襖のそばに立っていた少女に声をかけた。

「ドントウォーリー! 命に関わるようなことはしてないから安心して。彼女の心の中の大切な「想い」を吸い取っているだけだから」

 その笑顔は、明るく無邪気で、それでいて冷たい。てくてくと彩の前まで近づくと、微笑みながら、顔を覗き込んできた。

「彩ちゃんの望みを教えてよ。この島では何でも願いを叶えてあげられるから」

 そして数秒が経過して、少女に張り付いていた冷笑が、はがれた。

 視えない――

 愕然とするさくらに、

「貴女では役不足ですよ」

 淡々とした言葉の刃が突き刺さった。

「……それは意味が違ってるよ……彩ちゃん」

 さくらは、渋面でそれだけをこぼした。

 表情を変えないまま、彩は、みなもを顎で指して、無愛想に宣告する。

「みなもさんに「想い」を戻して、私たちにちょっかいをかけなければ、他の事は見逃しても構いませんよ」

「それは……できないよ。桜の樹を通して夢を伝達して、願いを叶えるにはたくさんの「想い」が必要なんだ。今のままじゃまだまだ足りないんだよ。みなもさんの想いはとても強いから――」

 嘆願の眼差しをどう受け取ったか、彩はただ一言。

「貴女では役者不足ですよ」

 すっと一歩を踏み出すと、眼前の少女も、周囲も、水滴が落ちた波紋のように歪んだ。



 狂ったように舞い散る桜の花びら。月光に包まれた蒼白い世界。

 その中でもひときわ存在感のある大樹のそばに、芳乃さくらは佇んでいた。

 真紅に染まった真っ赤な双眸は――魔法使いの瞳。

 そして、此処は。

「魔法使いの見る夢――」

 と、彩は漏らした。

 さくらの声に驚愕が燈る。

「ここに入って来れるなんて……彩ちゃんは、いったい」

「私は、神の子の見る夢の中で現実を生きてきましたから」

「あの街の……風音の巫女……」

「合点がいきましたか?」

「なら……それなら分かるよね!? それに、魔法の樹のシステムなら、彩ちゃんの街のように人命を犠牲にする必要はない。だから……」

「貴女は」

 と、彩が声を重ねた。

「貴女の祖母の残留思念か、貴女自身か、どちらです?」

「――――!!」

 さくらの顔を動揺の線が走り、真紅の双眸はたちまち元の碧眼に溶けた。彼女の心を支配した狼狽は、すがるような涙を頬に伝わせる。

「この木が……桜の樹が枯れたら、みんなにかかっている魔法も解ける……ボクが死んだら、ネバーランドがなくなっちゃうんだ!」

 彩の脳裏に、一瞬、木琴を叩いていた少女や島の人々の楽しそうな顔が浮かんだ。

 すっと細めた瞳に揺らいだのは、憐憫か、如何なる感慨だったか。その手にはいつの間にか、一振りの刀が握られていた。

「とんだ、茶番ですね――」

 それは誰に向けて放たれた言葉か。

 舞い散る桜吹雪に一閃のきらめきが生まれ、宙を舞った少女の首も、何もかも、桜の花びらに覆い隠されて、白の螺旋に霞んでいった。




「みなもさん、みなもさん、起きてくれませんか」

「ん……」

 うっすらと開いた寝惚けまなこが最初に捉えたのは、見知った少女の顔だった。

「え、あれ、えっ?」

 急速に覚醒した意識に戸惑いながら、みなもはきょろきょろと辺りを見回す。どうやら初音島の街中のようだ。彩が困ったような視線を投げかけてきた。

「何度か試みようとしたんですが、ひねくれ者の私にはタクシーを呼び止めることは無理なようです。みなもさんが捕まえてくれないと、今日中に帰れないんですが」

 空を仰ぐと、日はどっぷりと暮れていた。

 みなもは、必死に記憶を彷徨わせて、疑問を口に乗せる。

「さくらちゃんは? 魔法の樹は?」

「そんなお伽話みたいなものが、現実にあるわけないじゃないですか」

「そっか……橘くん、がっかりするだろうね」

「まあそのほうが彼のためにはいいでしょう」

「うーん、そうだね」

 笑顔で頷いて、みなもは、ちょうど通りかかったタクシーを呼び止めた。二人を乗せた車体は、青黒く染まった空の下を駆け抜けてゆく。

 七年間咲き誇っていた桜の木は、泡沫の夢のように枯れていった――








「ねえ、彩ちゃん。ボクにケンカ売ってる!? 売ってるよね!」

 白い小冊子を読み終えた金髪碧眼の少女が、ツインテールを揺らしながら、風音学園の制服を着たボブカットの少女を睨みつける。

「何がですか」

「WHAT? じゃないよっ。どうしてボクが彩ちゃんに首チョンバされる役どころなのって訊いてるの!」

「首チョンバとは、また懐かしい言葉ですね……」

「うにゃっ! 話をそらすなんて、江戸っ子の風上にも置けないよべらんめえっ!」

「江戸っ子じゃないですし」

 こめかみにジト汗を浮かべ、彩は番茶をすすった湯飲みをテーブルに置いた。

 風見学園の制服に身を包んだ芳乃さくらが、ばんっ、と小冊子を叩き付ける。その表紙には「風音学園&風見学園 合同学園祭 演劇・秋に散る桜」と書かれていた。

「だったら果たし状だね。さあ、決闘だ決闘だーっ」

「それなら、内面を繕うために子供を演じるのはやめたらどうですか」

 彩が溜息混じりに言うと、さくらは「むむ〜」と口をつぐんだ。

「じゃあ、彩ちゃんも無理して大人ぶった態度とらないで、子供らしくするべきだよね」

 二人の少女の目から、バシッと迸る火花。

 と、そこへ学生服姿の青年二人――朝倉純一と丘野真が入ってきた。

「真さん」

「お兄ちゃん、お帰り。遅かったね」

 ここは朝倉家の居間だった。

「ああ、ちょっと商店街に寄ってたからな。どうかしたのか?」

「そうだお兄ちゃん、この台本のことなんだけど――」

 小冊子を手にとって純一に詰め寄るさくら。

 彩はというと、真の手に持たれているものに目をやった。

「真さん、それは?」

「ああ、せっかく初音島に来たから、純一に美味しい店を教えてもらったんだ」

 真がテーブルの上に置いたのは、甘味処「花より団子」の名物・桜餅。

 それを眺め、彩は感心したように言った。

「これが本当の蛇足ですね」


 さくらの家の縁側で、うたまるとフォルテがのんびりと日向ぼっこをしていた――

 (END)

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