「後編」


 マンションの一室――清浦宅のチャイムを鳴らしたのは桂言葉であった。

 世界に悩みを相談したあと、刹那は一旦家に帰った。少し気持ちを落ち着けてから、誠に連絡をしようと思っていた矢先に、突然の来客である。

 一応友達である心に紹介されて最近知り合ったばかりの彼女がなぜ訪ねてきたのか。

「桂さん」

「少しお話があって……いいですか」

 いいもなにも、とくに断る理由はない。尺の長い何かが入っている長袋を手にしているのが気にはなったが、神妙な面持ちに触発され、刹那はドアを開けて招き入れた。

「いま、清浦さんお一人なんですか?」

「お母さん仕事で忙しいから、昼間は滅多にいない」

「そうなんですか。それはよかった」

「?」

 安心したように部屋を見渡す言葉に、刹那は怪訝と首をかしげた。

 やはり長袋が気になる。何が入っているのか、ある程度は予想がつくが、そうだとしたら何が目的なのか。

 視線に気づいたのか、言葉は軽い微笑を浮かべて袋からそれを取り出した。

「あ……」

 やはりというべきか。鞘に納まった、一振りの日本刀――

「それ、銃刀法違反には」

「なりませんよ。ちゃんと登録してありますから、刀袋に入れて持ち歩くぶんには問題ないんです」

「そうなんだ……」

 そもそも刀に興味がないので、刀袋だということすら分からなかった。

「私、中学まで居合を習っていたんです。これはその時に貰った刀なんですよ」

「うん、それは知ってる」

 誠から聞いたことがある。確か古青江という古い刀らしい。

 言葉が、きょとんと目を丸くした。

「どうして知っているんですか?」

「以前、誠が話してくれたから」

「そうですか……そうですよね。誠くんと清浦さんは付き合っているんですし」

「桂さん?」

「実は、お話というのは、その誠くんのことです」

「え」

「清浦さん、動かないでくださいね」

 それは、一瞬だった。

 銀光がきらめいたかと見るや、言葉は既に真剣を抜き放った姿勢で静止していた。

 刹那の前髪が数本、はらりと落ち、一拍置いて、額から冷や汗が浮き出す。足がすくんだ。

「怖いですか?」

「……怖くないわけない」

 目の前で本物の刀を一閃されて恐怖を感じないほうがおかしい。

「清浦さんは、誠くんにこんなものじゃない恐怖と痛みを与えたんですよね」

「は?」

「何があったのか部外者の私は知りませんけど、いくら恋人だからといって、そんな酷いことをするなんて……」

「ちょ、待って。話が見えない」

 寝耳に水というか、言葉の言っていることはさっぱり要領が掴めない。

 だからといって、下手に動こうものなら刀傷沙汰になりそうだ。

 眼前の、刀を手にした女の毅然とした表情。

 歩道橋で鉢合わせたら、いまにもノコギリで首をザックリやられそうではないか。

「とぼけても駄目ですよ。誠くんに、とても痛くて……そ、その、気持ちよくもあった……ことをしたんですよね」

「あ――」

「やっぱり、そうなんですね」

「……誠が言ったの?」

「違います! その、誠くんが……心に話しているのを偶然耳にしたんです」

「心ちゃんに」

 刹那の眉が、やや不愉快に下がる。なんとも複雑な気分のあらわれだ。

 同時に、言葉の眉根もムッとしたようになったが、理由は刹那のそれとは異なる。

「誠くんは心にも優しいですよね。きっと誠くんの好みは、控えめな背で慎ましやかな胸の、小さな女の子なんです」

「そこで私を見られると……その、なんか……困る」

「と、とにかくですね! 清浦さんにも、酷い目に合わされる側の気持ちというものを知ってもらおうと思ったんです!」

「うわ。無茶苦茶」

 ジト汗が浮かんで口端が引きつる。言葉がこんな思い込みの激しい人間だったとは。

 とりあえず現状を何とかしなければ。

「桂さん」

「なんですか。いまさら言い訳なんか聞きたくありませんよ?」

「この夏物語に、鮮血の結末など必要ない――」

「えっ……あ!」

 どこかで聞いたような台詞に言葉が一瞬呆気に取られ、その隙に、刹那は踵を返した。

 玄関に到着してロックを外したところで、背後に名状しがたき気配を感じた。

「清浦さん、部屋に戻ってください」

 こくりと頷くしかなかった。



「あれ、留守かな」

「だから携帯に電話したほうがいいのにって言ったのにー」

 マンションの一室の前で、誠と心は立ち往生した。インターフォンを押しても応答がないのだ。

 刹那に会いに行くと決めたとき、携帯で連絡したりメールを送ったりすることを誠は躊躇した。直接会って話さないと意気消沈してしまいそうだったからだ。

「……仕方ないか」

 半ば諦めた感じで、携帯に手を添えたときである。

「あれっ。誠くん……ドア、鍵かかってないよ?」

「えっ……あ」

 なんとはなしにドアノブを回した心だったが、抵抗なくスルリと開いた。

「刹那さん、不用心なタイプには見えないのに……もしかして、何かあったのかなぁ」

「何かって……」

「空き巣とか、強盗とか? わっ、大変だよ、まずは警察にでん――」

「刹那!」

「わを……って、誠くん!」

 たまらずドアの中へ駆け込む誠。いろいろ考えていたことも全て吹き飛んだ。

「大丈夫か刹那っ!」

「まこちゃん?」

「えっ、誠くん!?」

 驚いたのは三者共だが、面食らったのは、当然というべきか誠である。

 何か起こっていたのは確かだったが、ちょっと事態の把握がおぼつかない。

「えっと……言葉? そんなもの持って何やってるんだ?」

「あ、その、これはですね……清浦さんが、私の居合を見たいって……」

「は?」

 眉をひくつかせる刹那。言い訳なんか聞きたくないと口走ったのは誰だ。

 ツッコミの視線は、しかし、続けて入ってきた少女の声に遮断された。

「あーっ、なんでお姉ちゃんがいるのっ!」

「心まで……どうして誠くんと一緒にここへ?」

「どうしてもなにも……ほら、誠くん、ぼうっとしてないで! 刹那さんに用があるんでしょー」

「あ、ああ、そうだった。刹那、ちょっと話があるんだ」

「話って……」

 動揺を顔に出さないように我慢する。自分もちゃんと話し合いたいと思っていたところだ。

 世界の言うことも、その場しのぎの出まかせじゃなかったらしい。少し見直した。

「……」

「まこちゃん?」

「いや、その……」

「もーっ、なにおじけづいてるの誠くん。せっかく心が付き合ってあげたんだから、しっかり気持ちを伝えないと!」

 おしゃまな少女の一言に大きく反応したのは、誰あろう清浦刹那である。

 無言で言葉から刀と鞘をひったくり、刀身を鞘に収め、誠に向かって居合抜きの構えを取った。でたらめだが、不思議と様になっているのは異様な威圧感のためか。

 一転しておろおろする言葉は、刹那を制止することもできない。

「世界とおばさんだけじゃ飽き足らず、流されるままに、今度は心ちゃんと……」

「わっ、待て、誤解だ。話を聞け」

「私が誤解だって言ったときは、まこちゃん全然話を聞いてくれなかった」

「うっ……」

「大丈夫。前髪すれすれを一振りするだけだから」

「まてまてまて、言葉とお前じゃ腕が全然違うだろっ!」

 目を据わらせてにじり寄ってくる刹那。蛇に睨まれた蛙のように動けない誠。

 このままでは鮮血の結末が発生し、言葉が奇妙な既知感に苛まれるのは避けられないかと思われたそのとき――

「誠くん! 男ならどかーんといかなきゃ!」

 心が――誠の背中を押した。

 正確には突き飛ばしたというべきか。及び腰のところに不意を突かれたため、完全にバランスを崩した格好だ。

「えっ」

 思わずぎょっとする刹那だが、既に抜刀動作に入ったモーションは止められない。

 絶妙のタイミングで、抜き放った刀の柄が、倒れてきた誠の額にクリーンヒット。

 意識がブラックアウトする寸前、刹那の甲高い声が響いた気がした。





 数日後。

 夕暮れの浜辺。寄せては返す波の音。灯台の壁に、二つの影法師が伸びていた。

「まこちゃん……本当によかった」

 瞳を潤ませた刹那に抱きつかれ、誠は少し照れたように頬を赤くした。その頭には包帯が巻かれている。

「その、刹那……色々と、ごめん」

「ううん、私のほうこそ……」

 見つめ合う二人。それだけで、わだかまりは消えていた。

「また、せっちゃんって呼んでもいいか?」

「うん」

「……せっちゃん」

「まこちゃん」

 オレンジに染まる人影が、いっとき、ひとつに溶けた。

 携帯のメロディーが鳴ったのは、ちょうど互いの身体が離れたとき。

 送信者名とメッセージを確認した刹那は、クールで優しい微笑を浮かべたのだった。



「ことぴーからせっちゃんへ……と。送信完了」

「お姉ちゃん、電話?」

「せっちゃんに励ましと祝福のメールを送ったの」

「せ、せっちゃんって、刹那さんのこと? 携帯番号やメールアドレスまで教えてもらったんだ」

 横から話しかけてくる妹に、言葉が口もとを綻ばせた。
 
 今回の騒動で、言葉と刹那は垣根が取れたように親しくなり、友達と呼べる仲になったのだ。

「ただの狂言回しで終わらないために、綺麗な演出をアシストするなんて……お姉ちゃんもたまには気の利いたことするんだねー」

「もう、心ったら……あんまりお姉ちゃんを馬鹿にしたら怒るから」

「馬鹿になんかしてないよ、褒めてるんだよー?」

 それにしては一言二言多い。もう少しきつく言うべきか、そんなことを考えていると、手にしたままの携帯が旋律を奏でた。

 返信メールには画像が添えつけられていた。

「刹那さんから?」

「うん、そう」

 言葉はどこか楽しそうに目を伏せ、携帯をそっと傾けた。

 ひょいと覗き込んだ心が、わあ、と顔を弾ませる。


『せっちゃんからことぴーへ』


 画面に映る少女は、不敵な笑みを浮かべてVサインを決めていた――

(Fin)

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