「魔法の力」


 ある日の朝倉家の夕食風景。

「相変わらず見た目だけはマトモだが……」

 朝倉純一は決断を迫られていた。自身の保全を取るか、恋人の機嫌を取るか。

「どうしたんです、兄さん。早く食べないと冷めちゃいますよ」

 それは天使のような悪魔の笑顔。意図的ではなく自覚が無いのであるが。

 朝倉音夢特製の夕食。それだけなら問題はない。彼女も看護学校に通っていた二年間で、少しは料理の腕も普通に近づいてきた。あくまで少しだが、それ自体は問題ない。

 問題なのは、今日の夕食は「新作」だということだ。

 彼女が新たなレパートリーに挑戦するときは、いつも惨劇の晩餐と化す。

「なあ音夢……味見はしたのか?」

「ううん。だって、兄さんに最初に食べてほしかったんだもん」

 頬を赤らめる仕種そのものは可愛いもので、そのいじらしさに純一も思わず照れてしまう。

 だが、それとこれとは話は別。とりあえず見た目は普通のキノコご飯なのだが。

「そのキノコ美味しそうでしょ? 桜並木を歩いていたら偶然生えているのを見つけたんですよ」

 ヤバイ――

 道に生えてるキノコ。危険だ。純一の顔から血の気が引いてゆく。

「悪い。急に体調がかったるくなったから俺はもう寝る」

「ちょ、兄さん!? 体調がかったるいって何ですか!」

「かったりぃものはかったるいんだ、仕方ないだろ」

「そんなこと言って、私の料理が食べたくないならハッキリ言ってください!」

 壁際に追い詰められる純一。鳴風みなもと違って問い詰めに発展することはないが、音夢の場合は手が出る実力行使になる可能性が高いので肉体的に危険だ。

「では私がご馳走になりますわ」

 それまで蚊帳の外だったアイシアが、落ち着いた表情でキノコご飯に手をつける。今晩はさくらの家でなく、朝倉家で夕食をとることにしていた。

 ぽかんとする二人が我にかえる間もあればこそ、可憐な唇は咀嚼を開始。

 直後、小柄な体躯は椅子から床に自然落下した。

「キャーッ、アイシア!」

 音夢の絶叫は悲鳴に近かった。

「やれやれ。俺はアイシアをベッドに寝かせてくるから、お前は買い置きのカップ麺でも作っててくれ」

「はい……」

 アイシアを担いでキッチンを出る純一を見送り、音夢はしょぼんと肩を落とすのだった。



 翌朝。純一と音夢がキッチンのテーブルに朝食を並べているところに、制服に着替えたアイシアが姿を見せた。

 二人を視界に収めると、純一のほうを向いて、満面の笑顔で、

「おはようございます、ご主人様」

 と言った。

「お、おい、どうしたんだアイシア。寝惚けてるのか」

「はっ、そうでした、私たちはもうそんな関係じゃなかったんですね。ごめんなさい、純一」

 唖然と固まる朝倉兄妹。次第に傍らから剣呑な空気が溢れ出すのを感じた純一。恐る恐る振り向くと、今度は本物の、明確な意思を伴った天使のような悪魔の笑顔があった。

「兄さん……昨夜、アイシアを運んでいった後、いったい何があったのか、ちゃんと説明してもらえますか?」

「まてまてまて、何もない、俺は無実だ。誤解だ……って、聞く耳なさそうだな。しからば三十六計逃げるが勝ち!」

「あっ、こらーっ、待ちなさい兄さん!」

「……あれ、お二人とも朝ごはん食べないんですか?」

 怒涛の勢いで出て行った二人にきょとんとしながら、ひとりテーブル椅子に腰を下ろすアイシアだった。



「美春、おはよう!」

「おはようございます……って、あれれ?」

 元気に互いの片手を打ち合わせての挨拶。その相手が予想外の人物だったことに、思わず首を傾げる美春。クール風味な雰囲気のアイシアが、まるで別人ではないか。

 軽快に駆け走っていく背中を眺め、美春は釈然とせずに食べかけの好物を口に運ぶ。

「やっぱりバナナは別格、最高ですっ」

 疑問は三歩で吹き飛んだ。



 昼休み、食堂へ向かうため廊下を移動中のアイシアに、背丈容姿がさほど変わらぬ少女が呼び止めてきた。

 学園内で私服は教師の証。金髪ツインテールはさくら先生の証。

「ちょっと、音夢ちゃんとお兄ちゃんが朝から仲違い気味なんだけど、原因はアイシアなの?」

「……どちらさまでしょうか」

「WHAT? 質問してるのはボクの方だよ。ボクは芳乃さくら、これでOK?」

 僅かに訝しい眼をしたものの、そこはすぐに平静な態度で応じる。対してアイシアは、さくらのファミリーネームを何度も反芻し、やがてパッと顔を輝かせて手を打った。

「お師匠様!?」

 この一言には流石のさくらも面食らった。

「……どこか頭でも打った?」

「お願いですお師匠様、私に魔法を教えてください!」

「あのね、あなたに魔法は教えられないって何度も言ったよね」

 こめかみに指を当ててジト汗を流す。明らかにアイシアがいつもと違うのは分かったが、どうやら勝手も違うらしい。

「またまた、ご冗談を」

 片手を招き猫の形にパタパタさせてのにんまり顔に、さくらは頭痛がしそうになってきた。

「はっ、お師匠様は私が弟子になるに相応しいかどうか、試していらっしゃるのですね。分かりました、魔法で学園の人たちを幸せにして証拠を見せてあげます!」

「どうしてそうなるの……って、ジャストアモーメント!」

 制止した時には既に遅し。アイシアの姿は廊下の彼方に霞んでいた。

「ふむ、クールでミステリアスな彼女が、一夜にして天枷にも劣らぬ明朗快活少女へと変貌を遂げるか。しかし学園七不思議に加えるにはもうひとつパンチが足りんな」

「相変わらず神出鬼没だね、杉並君。それで、どこから聞いてたの」

「安心しろ、アイシア嬢が元気にガッツポーズをとって走り去っていくところを目の当たりにしただけだ。それに、芳乃さくら嬢なら、本当に聞かれて困るような話は最初から人前ではしないだろう」

「買い被ってくれるのは結構だけど、煽てたって何も出ないからね」

 実際殆どは彼の言うとおりだが、それでも内心少し汗を流していた。さくらの知る中でも、この杉並という人物は意外に侮れない面がある。

「それより、このまま放っておいていいのか。俺の騒動感知センサーによると、傍迷惑ながらも面白い事態に発展しそうなのだが」

「うにゃっ、そうだった!」

 雑談などしている暇はない、大事になる前に一刻も早く止めなければ。



 風見学園の校庭では距離を置いて二人の少女が対峙していた。

 ひとりはアイシア。ひとりは芳乃さくら。

 校庭にはさくらが魔法をかけているので、誰も二人には気付かない。もっとも、もし魔法がかかっていなかったとしても、二人の少女を気にとめる者は少ない状況なのだが。

「アイシア、もうやめないと怒るよ」

「それじゃあ、お師匠様の弟子に相応しいと認めてくださったんですね!」

「どうしたらそんな答えが出てくるのかな……周りをよく見て! 自分が今、何をしているのか、あなた本当に分かってるの!」

 校庭や学園内では、困っている人を助けようと「そんなときは魔法です!」で巻き起こした魔法の産物により大混乱状態となっていた。

 周囲を見回してそれを理解したアイシアは、流石に気まずそうな顔になるが、

「でも……でも、私は魔法で多くの人を幸せにしたいだけなんです!!」

 頭の中で種のようなものが弾けるアイシア。紅玉の双眸から光点が消え、そして、認めてもらいたいためか、さくらに向けて魔法を発動させたではないか。

「アイシア!」

 甲高い一声を上げ、やるせない感じに眉根を寄せながら、さくらも応戦を始めた。

 すれ違う翼、ぶつかり合う運命――

 その背に桜色の光の翼を展開させ、驚異的な残像軌跡を見せるアイシアだが、そこはやはり実力差か、彼女の繰り出す魔法をさくらは次々と打ち破ってゆく。

「あ……っ」

 対艦刀アロンダイトが粉砕され、アイシアは愕然とした表情でうろたえた。

 すかさずさくらは言う。

「アイシア、よく聞いて! 魔法で人を幸せにしたい――確かにその思いは、正しく心地良く感じるかもしれない……だけど、魔法の危険とリスクを考えないそれは、やがて周りの全てを壊すんだよ!」

「え……」

「それが本当にあなたの望んだこと? 思い出してアイシア、あなたは本当は何が欲しかったの!」

「う、うう……」

 回想シーン満載のさくらの説得に動揺と混乱を隠せない。それ以前の問題として、難しいことを言われても分かるわけがない。

「幸せの本当の意味も知らないまま、ただ魔法を使っちゃ駄目なんだよ!」

「う、うるさいうるさいうるさーい! あなたって人はあぁぁーーーーーッ!!」

 渾身の気合を込めて右の手の平を突き出すアイシア。

 そのとき、

「もうやめろ、さくら! アイシア!」

「お兄ちゃん!」

「純一!」

 朝倉純一が、庇うようにさくらの前に背を向けて割って入った。僅かながらも魔法の資質がある彼は、校庭の二人に気づいたのだ。

 アイシアの目に、彼女の祖母とさくらの祖母の幻が両端に映り、その中央に枯れた桜の木が浮かんだ。

「やめてぇぇぇーーーーーーーッ!!」

 絶叫したアイシアの手から、魔法が発動されようとするのが目に入り、純一の顔に怯えの相が浮かぶ。このとき、アイシアはそれでも繰り出そうとしたのか、一度発動モーションに入ったら止められなかったのかは諸説様々である。

 ――瞬間、さくらの頭の中で種が割れた。

「この、大馬鹿ぁぁーーーーーッ!!!」

 純一の前に出て魔法の発動を打ち消すさくら。反動で大きく後退したアイシアへ一気に距離を詰め、左の拳で彼女の頬を殴りつけた。

 真紅が水銀燈を殴ったのは、不思議な力で倒すのでは、痛さ、辛さは伝わりにくいからだ。

 この一撃で勝敗は決した。

「あいたた……あれ、どうして私は校庭で倒れているんですの?」

「ドントウォーリー! 正気にもどったみたいだね」

 そして、絶妙のタイミングで昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ったのだった。



 その後、アイシアが食べたキノコは「性格反転茸」だったということが判明したそうな。



「とんだ茶番ですね」

「茶番の一言で落とさないで」

 芳乃邸の縁側にて、どこかの街の管理者と一緒に番茶を飲むさくらを映し、終幕――


※この小説は過去に出したコピー本に掲載したものです

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