「旅人および酒場の数名に降りかかった運命」
人 リースさん
ゲボ子
旅人
ダルン }酒場の主人
ビート }煙突掃除人
カイン }遊び人
所 ヨーロッパ地方の田舎の酒場
時 現代
ヨーロッパの片田舎、山間の小さな村へ旅行で来ていたリースさんとゲボ子は、一軒の酒場で美味しい郷土料理とミルクを味わっている。
リースさん うーん、おいしいですね。このいかにも田舎の風情に満ちた食事と味わいがなんともいえません。たまにはこういう旅も悪くないですね、ゲボ子さん。
ゲボ子 もぐもぐ。うん。だけどリース、油断してはいけない。こういう地方の山間にこそロイガー族が恐ろしい野望を進めていて、それに巻き込まれたりすることだってあるんだ。いつだって地球滅亡の危機はすぐそこに迫っているかもしれないんだぜ?
リースさん さすがゲボ子さん、こんなときでもいつもの調子は忘れませんね。
ゲボ子 何しろ日本では九年ぶりにMMRが新世紀の前後編読み切りとして復活したんだ。天変地異の原因は海底にあるときたらルルイエでクトゥルー。(派手な背景効果とポーズを付けて)つまり古細菌っていうのは深きものどもの血のことなんだよ! 人類破局まであと四年――
リースさん 地デジ開局から一年で人類みな半漁人化ですか……で、それはおいといて、なんだか今回の私たちはヘンというか、違和感が。
ゲボ子 (再度背景効果付きで)うろたえるな! これ書いてるやつが最近ダンセイニ戯曲集を読んだから、戯曲形式になってるだけなんだぜ。
リースさん わわ、またそんなメタ発言。まあとりあえず理解できました。
(リースさんとゲボ子が雑談していると、酒場に新たな客が入ってくる。酒場の主人と客数名の視線が集中する。新しい客はボロをまとった男で、ひと目で旅人だと知れた。ひどく怯えた様子で紙袋を後生大事に両手に抱えている)
ダルン (怪訝そうに)やあどうしたんだい、何かあったのか?
旅人 (視線をそらし、かすれるような声で)な……なにも。
ビート (席を立って)その紙袋の中には何が入ってるんだ。
旅人 (びくっと身を震わせる)なんでもない!……ち、近づくな。
カイン (少し歩を寄せ)おいおい、ここは酒場だぜ? みんなが楽しい思いをするために集まる場所だ。なかよくいこうじゃないか。
旅人 うわなんだおまえやめr
ダルン 怪しいな。
ビート 怪しいな。
カイン ああ、怪しい。
旅人 だ、駄目だ、俺に近寄るな。危険が危ない!
ダルン 酒場の主としては安全のために紙袋の中身を確認しておきたいと思うんだが、どう思う?
ビート 煙突掃除人の俺としては至極もっともな理由だな。
カイン 遊び人の俺も同感だ。
旅人 な なにをする きさまらー!
(三人、ころしてでも力ずくで旅人から紙袋を奪い取り、中身をテーブルに出す。出てきたのは、鉄の表紙がつけられた一冊の大きな黒い書物だった。首をかしげる三人とは対照的に、旅人は絶望的な表情でがくがく震えだす。食事を続けながらその光景を見ていたリースさんに、対面のゲボ子が真剣な顔つきで切り出す)
ゲボ子 あれはきっと『妖蛆の秘密』だな。
リースさん ようしゅのひみつ?
ゲボ子 「蛆」という漢字の音読みは「ソ」「ショ」なのに、なんで「ようしゅ」と読むのが通例なのかというと、「白蛆」と書いて「びゃくしゅ」と読む雅語的な表現が存在しているからなんだ。
リースさん へえー、そうなんですか。――いえそんなことより、『妖蛆の秘密』ってなんです?
ゲボ子 十六世紀の半ばに存在したルドウィク・プリンって名の錬金術師のジジイが、処刑前に獄中で書いたって言われてる魔術書だ。書物に記されているのは、中東、アフリカの土地でプリンが知り得た禁断の知識と秘密の術法の数々らしくて、なかでも「星の送りし下僕」の名で知られる不可視の使い魔――「星の精」の召喚方法が特筆すべき項目らしい。
リースさん なるほど。じゃああの旅人はどうしてあんなにびくびくしているんでしょう。
ゲボ子 「星の精」を召喚したけど支配するのに失敗したんじゃないかなー。かなり技量がいるらしいから、失敗すると召喚者を襲うらしいぜ? つまりあの旅人は「星の精」から逃げている途中だったんだよ!(稲妻の背景効果)
リースさん な、なんだってー!(同様)
(少女ふたりの会話を聞いた三人、たちまち青い顔をして書物を紙袋に戻す)
ダルン 手荒なことをして悪かった。
ビート それは返すよ。
カイン ああ、だから俺たちには何も関係ない。
旅人 (がたがたとこの世の終わりのように怯えて)もう遅い……だから危険だと言ったのに……やつらはここを嗅ぎつけた……やつらがここへやってくる……終わりだ、俺も、おまえらも。
(リースさん、ここを離れたほうがいいような気がして席を立つと、ゲボ子と一緒にそそくさと酒場を出る。その後、酒場の中で何が起こったかは、ふたりの知るところではない)
(幕)