「如何にしてパステルたんがナイ神父の到着を祈ったか」


『星の智慧派』の会合所では由々しき問題が生じていた。

 定例時刻を過ぎてもナイ神父の姿が演壇上にないのである。いつもならとうに星の智慧の祈りと唱和からなる会合が始まっているというのに、その日は一向に『星の智慧派』の指導者である謎めいた黒人神父が信者たちの前に現れることはなかった。

 信仰の基盤である<輝くトラペゾへドロン>はナイ神父にしか引き出せない代物ゆえ、彼が到着しないことにはいつまで経っても会合を行うことはできず、また、会合なしに集会を閉会するなどという事態は考えられぬことなのだ。

 幹部である司祭たちの間でいくつもの言葉が取り交わされる。まったくもって連絡がつかないとは、何かのアクシデントに遭遇したのか。表沙汰にはなっていないが『星の智慧派』の実態はナイアーラトテップを崇拝する邪教宗派にほかならず、そのため危険視する敵対組織も多く、これまでも水面下で幾度となく衝突したことがある。

 もしやナイ神父の到着が遅れているのは何がしかの危機にさらされているからなのか、或いは迂闊に動けない状況に陥っているのか、とにかく穏やかでない事態にあるのは想像に難くなく、急を要する必要があるのは異論を挟む余地のないところだった。

 そうしたわけで、事態の打開にパステルたんが選ばれた。『星の智慧派』最年少の司祭である彼女は、予想外の出来事には弱いが予定通りに事を進めた場合の能力たるや折り紙つきであり、打開を予定通りに進行するにこれほどふさわしい者はいないのである。

「私に任せて。必ずやナイ神父の到着祈願を実現してみせるわ」

 パステルたんは自信に満ちた顔つきで意気をあらわにした。此度の行動がどれだけ重要な意味をおびているかを理解しているのだ。

<夢の国>へ赴き、レン高原の寂寞とした台地に建つ、無窓で石造りの異様な修道院にたった独りで蕃神とナイアーラトテップに祈りを捧げているという、名状しがたい大神官のまえでナイ神父の無事を祈願する――これこそが目的だった。

 そして<夢の国>の門戸を開けるのは「夢見る人」のみで、パステルたんは『星の智慧派』の中でもそう多くはない「夢見る人」の一人であり、此度の行動に選ばれたもうひとつの理由でもあった。

 かくしてパステルたんは魔術で自身を<夢の国>への眠りに誘い、浅い眠りの中で七十段の階段を見つけずに、いきなりセレファイスに出現した。セレファイスの王であるクラネスと特別な交友関係にある彼女はセレファイスへ直通転移できるのだ。

 普段ならクラネス王に挨拶のひとつでもしていくのだが、そんな余裕はないため、足早にインクアノク行きのガレー船に搭乗する。<夢の国>での時間の流れは現実世界では殆ど経過しないとはいえ、インクアノクまでは船旅で二十二日かかることにパステルたんはもどかしい気持ちになったが、しかしこれも予定通りと腰を据えた。

 そうしてきっかり三週間後の翌日に薄明のインクアノクに到着すると、パステルたんは休む間もなく一頭のヤクを借りて、北方にそびえる踏破あたわざる灰色の山脈を目指した。

 数日をかけて数箇所の採石場を通り過ぎ、彼方に鈍い灰色の空が広がる急勾配の登り斜面に達した。ここでパステルたんはヤクから下り、ほぼ垂直に近い斜面を懸命に登頂し始めた。あまり体力のあるほうではない彼女にとっては相当にきついものであったが、この行動がいかに重要であるかを意識して自分を鼓舞すると、息もきれぎれに頑張るのだ。

 そうして山頂を越えたとき、彼方から象よりも巨大で馬のごとき頭部を備えたシャンタク鳥が一直線に飛翔してきて、パステルたんの眼前に舞い下りた。パステルたんが自身をナイアーラトテップの崇拝者であることを証明すると、驚くべき馬頭のシャンタク鳥は、彼女を鱗に覆われた背中に乗せて飛び立った。

 灰色の荒涼たる平原、凍てつく荒野の高原の上空を飛び続け、やがて、吹きさらしの台地にそびえるずんぐりした無窓の異様な石造りの建築物に下り立った。そここそは、<夢の国>のなかでも伝説上の地とされる、先史時代の修道院であった。

 低い迫持造りの戸口に足を踏み入れると、パステルたんは魔術で仄かな明かりを燈し、光のない迷路じみた狭い曲がりくねる廊下を歩き出した。廊下の壁に描かれた太古のフレスコ画には眼もくれず進み続け、ついに大きなドーム状の空間に辿り着いた。

 邪悪な臭いのたちこめる広い礼拝堂の最奥にある台座に置かれた黄金の玉座に、赤い紋様の入った黄色の絹を纏う、黄色の絹の覆面で顔を隠したずんぐりした人物が坐っていた。悍ましい彫刻の施された象牙のフルートにて奇怪な調べを奏でたてるその者こそ、ナイアーラトテップと蕃神たちに独りきりで冒涜的な祈りを捧げ続けている名状しがたい大神官に違いなかった。

 パステルたんは無言でそのまえに跪くと、自らも祈りを捧げ、ナイアーラトテップにナイ神父の無事と到着とを祈願した。そうして祈りを捧げ終えて修道院を後にしたところでパステルたんが目を覚ますと、果たせるかな、『星の智慧派』の会合所にナイ神父が姿を現したのである。

 かくしてパステルたんの祈祷も報われたのだが、当のナイ神父が会合に遅れた理由が、戯れでフェアリーテール・ハードカバーの「ネクロノミコン」という平行世界に赴き、二通りの結末を満喫していたためなどとは、誰の知る由もない。

 祈りと唱和からなる会合が始まったちょうどその頃、日本ではリースさんとゲボ子がファミレスで少し遅めの昼食を愉しんでいた。

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