「クリスマスを覆う影」
ゲボ子が、鍵の閂を部屋の入り口に付け直している。
リースさんはその様子を見ながら不安げに頭を抱えていた。
どうしてこんなことになったのだろう。今日は楽しいクリスマスになるはずだったのに。
閂の留め金を付け直しながら、ゲボ子は鼻歌でもうたいそうな口調で言った。
「いまの状況でBGMを流すなら『旧支配者たちのキャロル』かなー」
「そ、そんなSAN値が下がるようなこと言わないでくださいっ」
「深層心理が作り出す、現実とは異なる虚構の世界。現実とは明らかに違っていても、一歩その場に踏み込むと、すべてが現実へと変化してしまうのだ。この、深層心理が無意識に作り出す世界を、人々は『夢』と呼ぶ」
「突然なんですかそのナレーション」
「うえだゆうじ」
「はい?」
「アンチオタクなのに回ってくる作品は萌え系で配役はオタ系キャラばっかりなアニメ声優。そいつが過去に殆ど黒歴史と言えるアレな『ナイトゥルース』ってセガサターンのゲームでやったナレーション。詳しくはニコニコで『旧支配者たちのキャロル うえだゆうじ語り付き』で検索してみるんだ。ちなみにいまこれ書いてるやつは当時そのゲームの一作目をプレイして、どうすればいいんだ、って思ったらしいぜ?」
「わわわ! ゲボ子さん、そんな、メ、メタ発言はアウトですよっ」
「メメタァ? 蛙人間もどきが襲ってきてるっぽい状況で蛙潰しの効果音とは、やるなリース」
「どうしてそんな悠長に勘違いできるんですかー!」
思わず混乱しそうになるリースさん。ゲボ子は入り口のドアに鍵の閂を付け直している。そしていまはクリスマスの夜。
リースさんはゲボ子と一緒に、知人のクリスマスパーティに参加するため地方へ向かっていた。ところが不慮の出来事により、寂れた港町に足を踏み入れることになった。どんな出来事だったかは各人のご想像にお任せしておく。
とにかく迷い込んだ港町は、陰気で古寂れており、人の姿もまばらにしか見かけない有様だった。交通の便はすでに終了しているため、やむなく一泊するしかない状態ときた。携帯も通じないので、町中を歩き回って見つけた電話機――硬貨専用の古臭いダイヤル式――で詮方に事情を説明して不参加の連絡をつけ、今晩の宿を探すことになった。
町にひとつしかない宿泊場所は殆ど民宿に近いボロボロのホテルだった。二人一室の部屋は内装からベッドなどの調度品までとにかく汚く、リースさんは泣きたくなったものだが、ゲボ子はその辺には不快感をあらわにせず、ただ、部屋の入り口のドアを見て鍵の閂が外されて無いのが気になっている様子だった。
その夜、不穏な空気は影となって忍び寄ってきた。
複数の人間のものと思しき奇声が階下のほうから聴こえてきたのだ。その声に気づいたのはゲボ子である。たちまち階段を上がってくる足音が響いてきた。すっかりパニくるリースさんとは対照的に、ゲボ子が隣室の閂の留め金を外して入り口のドアに付け直し始めた。そうして現状に至る。
ウィルマース・ファウンデーションに雇われていたことがあるリースさんと、ケイオスシーカーでバイトしていたことがあるらしいゲボ子のふたりには、この町が、日本に存在する「深きものども」の血を引く人間達の住処の一つであることが理解できたのだ。
「リースはいまのうちに、窓から飛び降りて着地できそうな足場を見つけるんだ」
「……なんでそんなに説明的なんです?」
「住民たちに強襲された宿屋からの脱出劇は、原典である『インスマウスの影』をはじめ、スペイン映画の『DAGON』や佐野史郎の『インスマスを覆う影』、イギリスの本格派ゲーム『Call of Cthulhu : Dark Corner of the Earth』でもお約束ミッションなんだぜ?」
そのあと『DAGON』のダゴン様は早漏だとか佐野版インスマスのは脱出劇とは呼べないけどなとか、どうでもいいような台詞が続く間に慌ただしい足音がどんどん近くなってきた。
リースさんは窓に眼をやって困った顔になった。着地できそうな足場などない。レビテーションを使えば下りられるが、自分にしか効果がないためゲボ子を見捨てることになる。そんなことは絶対にできない。
ゲボ子が留め金を付け終えた。同時に、入り口のドアが乱暴に叩かれた。複数の人物が暴言を吐きながら力任せにドアを破ろうとする。せっかくの閂も、これでは時間の問題だ。
あれこれ考えているうちに、ドアは破られた。獣に食いちぎられるよりはましだろうか。
入ってきたのは数名の男達だったが、意外なことに、いわゆる「インスマス面」の特徴もない普通の人間であった。
「た、助けてくれ!」
眼前の少女ふたりに面食らいながらも男達は叫んだ。その直後、背後からひとりの少女が姿を現した。赤い右目と青い左目をしたオッドアイの少女だ。
『星の智慧派』最年少の司祭ライヒ・パステルツェことパステルたんだった。
男達の向こうに面識のある少女ふたりを認めて首をかしげるパステルたんであるが、とりあえず無視することにした。イレギュラーは彼女の望むところではない。この町の住人は今日、メリーインスマスなる宴に興じて海辺で儀式を行っている。『星の智慧派』と「ダゴン秘密教団」は協力関係にあるため、儀式に招かれたパステルたんはしぶしぶこの町に来ていた。貧乏くじを引かされたものだと内心愚痴っている。
魚臭い連中のそばにいるのがたえられず距離を置いて退屈していたところ、物盗りらしき男達が偶然にもその儀式を目撃してしまったのを発見した。魔道士であるパステルたんは魔術を行使して簡単に男達を追い詰めた。それがこの宿屋だったのだ。
「何も見なかったことにして逃げるなら見逃してあげてもいいわよ」
もともとパステルたんは不要な殺生は好まない。ここなら魚臭い連中の澱んだ眼にもつかないし、こっそり逃がしてやるつもりだったのだが――男達は諦めきったようにうなだれたまま動こうとしなかった。
こんな町に物盗りに来るような男達だけあって、それなりの知識はあったようだ。それゆえに、まるで<運命>を受けいれるかのごとく、おとなしくなってしまったのだ。パステルたんは小さな溜息をついた。
それからひと声、使い魔の名を呼んだ。――ティンダロス。
部屋の角から青黒い煙が噴き出してきた。男達は絶望に身を打ちひしぎながらも逃げようとはしなかった。その後ろではゲボ子がビヤーキーの召喚を試みていた。成功率を上げるためにリースさんがカエサルのダイスを振った。賽とはすなわち<偶然>を司るものだ。
部屋の角からティンダロスの猟犬が現れ、立ちすくむ男達へ飛びかかった。
パステルたんは眼をそらした。
そらした先で、少女ふたりが、黄色いオマルに手足が生えたデフォルメ状の生き物に乗り、窓を通り抜けて飛翔していくのが見えた。
男達が<運命>に掴み取られ、リースさんとゲボ子は<偶然>に運び出された。