第20話「時封呪」


「一緒に行動したほうがいいんじゃない?」

 リアのその一言でそういうことになった。

 情報収集にあたる際、彼女が唐突にそう思ったのだ。自分はその手の知識は殆どないので二手に分かれても効率的には変わらないんじゃないかと、そんな理屈だった。

 そんな理屈ではあったが、なんとなくそうしたほうがいいような気がしたという。

「たぶん、存在共有の虫の知らせってやつかもね」

「どういうことよヴィエ」

「天封呪で存在を分割されたわたしたちは、数多の平行世界で同じスタートラインから行動を開始してるわけ。でもその内容や速度、分岐や結果は千差万別。だから、先に存在の定着化やもしくは死亡といった結果に陥った場合、多次元事象的などこかで繋がっている、まだ行動中の全てのわたしたちに、こうしたほうがいいかも、そうするとまずいかもといったふうな実体験に基づく感覚が伝わってくるのかもしれないわ」

 だがヴィエ自身はそうしたものを感じたことはない。これは考えてみればいささか不可解なことで、感受するどころか、それがないことすら疑問に思わなかったのは何がしかの影響下にあるからではないのだろうか。

 それは程なくして確たるものになった。

 調査の結果、元の世界には存在しない廃教会と図書館にあたりをつけ、まず位置的に近い廃教会を訪れることにした二人は御納戸町の街外れへと向かった。

 先刻までは穏やかな天候だったのだが、廃教会に着く頃には空を暗雲が覆い尽くし、いまにも強風と雷雨が起こりそうな気配にまでなる。

 しかしもっと奇妙なのは廃教会で出会った黒人神父との会話だった。



「……なんか不気味な人だったわね。まるで私たちの状況を知ってて楽しんでるみたいなところがあったし」

 廃教会を後にしたリアが懸念するのも無理はない。マイケル・マクシミリアンと名乗った神父は饒舌ながらどことなく謎めいた雰囲気があり、会話のふしぶしからは初対面のはずのこちらのことを理解しているかのような態度を匂わせたのだ。

「偶然でしょ、わたしたちの現状を把握してるなんてありえないし。有益な情報を得たんだから、さっそく実行に移してみましょ」

「図書館はどうするの?」

「そんなの後でいいじゃない。せっかくの情報を実践してみるのが先決でしょー」

「私にはあの神父とヴィエの話はよくわからなかったけど、先に図書館のほうも調べてからでも遅くはないんじゃない」

「……んー、それも、そうね」

 リアに念を押されて考えを改める。そういえば自分はなにをこんなにも躍起になっているのだろう、そもそも神父との話で得た情報も思い直すと曖昧だし、やはり名状しがたい何かに捉われているのかもしれない。

 どうやらリアはその影響外にあるらしい。彼女の意見に耳を傾けたほうがよさそうだ。

 そうして今度は図書館へ移動したが、不思議なことに廃教会を離れるにつれ、悪天候が嘘のように快晴となり、図書館に到着したときは暖かな気象と陽光に包まれるまでになった。

 そんな奇妙な天候の変化も、特別閲覧室で王蒼幻の著書『神代遺産録』を発見した衝撃で吹き飛んだ。

 施されていた擬似思念による残留伝達を、膨大な魔力を消費して配列変換を行うヴィエ。限られた僅かな時間で一箇所に意識を寄せた彼女の脳裏に、ひとつの項目――『時の監視者』の招来法に関する知識が流れ込んできた。



『私は時の監視者。よくぞ私を呼び出しました、天封呪に封じられし者らよ』

 中性的な音声が直接脳内にこだまする。

 住宅街外れの廃屋内、元の世界ではヴィエの洋館がある場所で、二人の耳にその声は伝わってきた。姿は見えないが、明らかに異質な存在を感じられる。

「わたしたちが天封呪で飛ばされてきたことがわかるってことは、元の世界に帰る方法も知っているってことね」

『無論です。その術の名は『時封呪』。時を遡り、因果の起点を断ち切ることができます。あなたがたが平行世界に飛ばされることになった『天封呪』……その因果の起点に、私が時封呪で送り帰します』

 これにはリアのみならずヴィエも色めき立った。方法を教えてもらうどころか、三段跳びに元の世界へ帰してくれるとは、なんとスムーズな事の運びだろうか。

 ヴィエが『神代遺産録』で得た知識によれば『時の監視者』は神代に創られた存在で、時の法則を乱す『天封呪』を抹消する役目を担っているという。

 神代に作られた二つの禁呪、『天封呪』と『時封呪』の使用は世界に不都合をもたらした。過ちに気づいた人々は術を封じ、そして再び封呪が使われたときのために、それを補正し、消滅させる神が創られた。それが時の監視者。

 二人が元の世界に戻って天封呪の発動を阻止することは、『時の監視者』の目的にも適うことになるわけだ。

「なんか結構あっさりと帰れそうね」

「リアさん、それはわたしたちの運がよかっただけだよ。他のわたしたちの行動や結果の賜物ともいえるけど」

『それでは時封呪を発動させます。但し、あなたがたが元の世界に帰れるかはあなたがた次第。願わくば時の障壁を越えて因果の起点を断絶せんことを――』

 少女たちの身体を光が包み、視界と声が遠く霞んでいく。

 やがて意識が混濁の彼方に溶けた。



 上下左右見渡す限りの亜空間を二人は漂っていた。

 平行世界に飛ばされた影を元の世界へ正しく還す、時封呪により発生した特別な時流。

 流れに身を任せて無重力さながらの亜空間を進んでいると、眼前に変化が生じた。前方の時流が大きな渦を巻いて歪曲しており、ふたりは漂う身体を静止させた。

「もしかして、あれが時の障壁ってやつ?」

「たぶんそう……」

 巨大な時流のうねりを凝視し、ヴィエは暫し無言になった。

 いつまでそうしていたか、ふいに表情を曇らせ、ふっと達観した風な寂寥にも似た薄い笑みを浮かべると、訝しげな視線を向けてくるリアにふるふるとかぶりを振った。

「ごめんリアさん、どうやらわたしはここまでみたい」

「は? なに、いきなりどうしたの」

「わたしはここでストップだから、あとはリアさん一人で元の世界に帰って」

「ちょ、冗談にも程があるわよ!? わかるように説明してよっ」

「目の前にある時の障壁は、まっすぐな心を持つ者、前に向かって進む性質の者にしか越える事ができないの。だからわたしにはどうあっても無理なのよ」

 成長を放棄した自分には時の障壁を通り抜けることはできない。ヴィエのどこか清々しいまでの諦めの態度はそれだ。

「……バカなこと言ってないで、いくわよ」

「わ、無理だって言ってるのにーっ」

 じたばたするヴィエの腕を引っ張って前方へ進むリア。

 巨大な渦を通り抜けようとした瞬間、強烈な波動に吹き飛ばされてしまった。

「ほら、言ったとおりでしょ? リアさん一人なら元の世界へ帰れるの。わたしのことはいいから気にせず行って」

「あのねえ……はいそうですかって置いていけるわけないでしょ。それに、そんなしおらしいこと口にするなんてあんたらしくないわよ?」

「そりゃわたしだって元の世界に帰りたいけど、できない事の区別はつけなくちゃね。しおらしいんじゃなくて、思慮深く賢明? 不可能な以上は潔く諦めるのが肝要だから」

「なに決めつけてるのよ、やってみないとわからないでしょ」

「だから無理だって!」

 珍しく苛立ちを含んだ調子で声を荒げるヴィエ。言外に、リアのそういうところは好きだが時と場合を考えろというニュアンスもある。

「わたしがどんな手段を講じても、リアさんがどれだけ頑張っても、無理なものは無理なの。不可能なの」

「なら私とあんたで何とかする方法を考えてみせてよ」

「え――?」

 よほど意表を突かれたのか、ヴィエは二の句が告げなくなって眼をぱちぱちさせた。

「ふたりで協力すれば何とかなるんじゃない? それに、私は絶対にひとりで行くなんてしないから。そんなことをしたら私が私じゃなくなる」

「……リアさんってば、ほんとに、どこまで……お馬鹿さん、なんだから」

 腹の底から呆れた声を出し、盛大に溜息を吐く。蔑んだ眼差しはどこか嬉しさを秘めた微笑となり、懐からブローチを取り出してリアに手渡した。

「なにこれ、縞瑪瑙? あ、ひょっとして、以前明石焼きに使ったやつの欠片!?」

「そうだよー。その時のデータを基に改良を加えてあるから安心して」

「これをどうしろと」

「リアさんにあげる。それを使ったら何とかできるかも」

 言うなり、自分の上着の裾をつまんでたくし上げるヴィエ。

 突然のことに呆気にとられるリアだが、あらわになった少女の腹部に、みるみるうちにアーチ門が現れたのを見て息を呑んだ。

「な……それ……門?」

「うふふっ、リアさんに見せるのは初めてかしら。普段は魔術で隠してるんだけど」

 周囲があやふやなまどろみに侵食されていく。リアはそれが『夢』であると理解できた。

「あのね、わたしがどれだけ魔術を行使しても、リアさんがどれだけ頑張っても、わたしを連れて時の障壁を越える事はできないの。いくら人の精神が膨大な可能性を秘めているといっても、それを包む肉体には限界があるでしょ? でも、門を開いたことでわたしもリアさんも周囲も夢に浸食された。『夢』においては『想像』がすべてとなる。もちろんそれだけじゃ時の障壁を破ることは出来ない……そこでその縞瑪瑙。レン高原産の縞瑪瑙は所持者の性質と認識を著しく拡大させる。良き夢を具現化させるほどにね」

「いや、その、結論だけ言ってよ……」

「要するに想いの力が現実を変えるってこと。どんなことにも理由は必要、理屈抜きで現実を変容させることはできない。――だから、わたしがリアさんの無茶を通す屁理屈になってあげる。現実には夢を、道理には屁理屈を。さあ、あとはリアさんの想い次第、わたしはそれに賭けたから」

「ヴィエ――」

「元の世界に帰りたい。わたしも救いたい。呆れるほどに傲慢な願いを実現したいなら、その意志が本物かどうか、あなたの正義のほどを見せてみなさい」

 そう言ってにやりと笑うヴィエ。

 もはやそれ以上は必要ない。リアはただ、爽やかに頷いた。

 服の襟首にブローチをつけると、独鈷を握った片手を前方斜め上へ伸ばす。

 明鏡止水の精神で心を静め、自らの想いを紡ぎはじめる。

 確かに自分は傲慢なのだろう。信念ほど厄介でタチが悪いものはないのかもしれない。

 正義というものは誰もが持っていて、どこにでもあり、結局はそれぞれの正義のぶつかり合いに過ぎない。ヴィエに言わせれば、勝てば官軍、勝者こそが正義ということ。

 対して自分には確固たる定まりを語ることなんてできない。不器用で、お人好しで、お節介な正義感がどこに向かうかもわからない。

 でも、それでいいのだ。

 その都度悩めばいい。迷えばいい。そして答えを見つければいい。

 だから、いまはヴィエを助けることにすべてを――呆れながらも自分に賭けてくれた少女のために、この想いを。

 瞬間、縞瑪瑙がほのかに発光し、独鈷が棒状に伸縮した。続いてリアの髪留めがふわりと外れ、ストレートロングの金髪が腰まで落ちる。柄の上部先端にくっついた髪留めが鍔の役割を果たすと、そこから見る間に幅広の青い輪郭が巨大な刃を形成していくではないか。

 身の丈以上もある長さの、青光の刀剣が成ったのである。

 それこそが彼女の信念のカタチだった。

 片手で傍らの少女の腰を抱き寄せる。反応は、少しくすぐったそうな、照れたような顔。

 リアは清々しい顔つきで正面を見据え、青く輝く刀身を構えて真っ直ぐに飛翔した。その先には逆巻く時流のうねり。

 紺碧の刃先が時の渦中に触れる。襲い来る凄まじい波動。全身全霊を込めて必死に抗う。その抵抗を嘲るように勢いを増す荒れ狂う津波。

 僅かに弱い考えが滲み出してきたとき、繊細な織手が、柄を握るリアの手に添えられた。

「まだわたしの手助けが必要かしら?」

「ううん……手添えだけで充分よ」

 互いに口もとを綻ばせる。

「貫け、蒼き彗星――!」

 蒼穹のきらめきがスパークし、刃先が時流の渦を通過した。

 迸る一条の青光は、まさしく彗星のごとく時の障壁を貫き通したのであった。



「どんな状況でも肉親を庇い、想うのが家族というものでしょう? そう――たとえ僕に羽丘家の血が流れていなくとも」

「え――」

 最後の言葉に、リアは耳を疑った。

 唖然とした彼女が何か口にするより早く、術式を完成させたミィエと隆志の声が重なる。

「天の陽気よ、地の陰気よ、我に集まりて力となれ――天封呪!」

 時空が歪み、透明球体が縮小し、ヴィエとリアの全身が数え切れないほどの残像軌跡を描く。存在が分割されているのだ。

 そして閃光と共に時空の縮小に飲み込まれ、二人の少女はこの世界から完全に消え去った。

 ――直後、再び空間が揺らいだ。

 ミィエと隆志が怪訝と眉を寄せる暇もあればこそ、次に生じた出来事には一瞬我を忘れてその光景を見つめるばかりとなった。床上の空間が縦に裂けたかとみるや、青くきらめく巨大な刀身が一直線に突き上がったのだ。

 そして見た。目の前で消え去ったはずの少女らが、勢いよく時空の裂け目から飛び出し、ふたり同時に着地する様を。

 重量を感じないのか、身の丈を上回る刀剣を軽やかに頭上で回転させるリア。キッとした眼差しを説教壇前に立つ二人に向け、自身の正義を貫く信念の刃――「蒼き彗星」を正面に傾けた。

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