第12話「新世界の神」後編


 薄暗くなってきた空の下、ヴィエの邸宅を囲む庭にアンティークランプの明かりが灯る。

「えらいことになったわね……固有結界みたいなもので街全体が覆われているようだから、他の町からは普通の光景にしか映ってないと思うけど」

 現状の把握を終えたリアがうんざりしたように頭をかいた。巨大化した明石焼きはのっそりと気の向くまま無意味に移動中で、そのたびに街中から悲鳴が上がって前代未聞のパニックを引き起こしている。外部の連絡は通じず、警察所は巨大なたこ焼きに包まれて行動不能になっていた。

 前向きな一部の能力者たちは独自に事態を解決しようとしているが、何しろ相手は全長二百メートル、しかも異界の物理法則に護られているためどうしようもない。

「いやー、なんかすごいことになってるっすねー」

「サイモンさん、こんなときに暢気にカレー食べてないで!」

 立った状態でもぐもぐカレーを食しているグラサン男に突っ込みを入れてから、本当に解決法はあるのかと向き直るリア。

 チェコ第五の魔道士は澄ました顔で頷いた。

「うん。これだけ事象を塗り替えれば必ず反作用のあるひずみが生じるはずだから、それを特定するの」

 そう説明して、濃密な魔力の展開を始めるヴィエ。

「クロック・オブ・ド・マリニー」

 ド・マリニーの時計――象形文字の刻まれた棺形の時計が奏でる異様な音色が、宇宙的な尋常ならざるリズムをもって真実を指し示す。

 奇妙な象形文字群が刻まれた文字盤の上をすべる、地球上のいかなる時間計測法にも従わない四つの針の奇妙な動きを、じっと見つめたとき、ヴィエの脳裏に明確なヴィジョンが途方もなく鮮明に投影された。

「視えた!」



 御納戸町の片隅にある五階建てのホテルに三人はいた。四〇三号室の前で立ち止まると、先頭のヴィエがドアノブを回す。当然ロックされているが、彼女の手に魔力が溢れるや、カチリと音が鳴った。開錠の魔法だ。

 以前リアが彼女に自宅へ不法侵入されたときもこの手段で正面から入られた。しかもちゃんと術による対策を施していたのに簡単に解除されてしまったのだから始末が悪い。

 とりあえず非常事態ということで眼前の行為に眼をつぶるリア。良心が痛んだ。

 明かりのスイッチをオンにすると、部屋は無人だった。

「誰もいないわね。ここに事態を解決させる何かがあるっていうの?」

「そうだよー。さっそく調べてみましょ」

 あまり広くない室内を見渡すと、小机の上に数枚の用紙を見つけた。走り書きの手記らしく、内容は次のようなものであった。



 私の名前は麻生香月(あそう かげつ)といい、大阪から来た十七歳の女子高生だ。私はいま、それとわかるほど神経をはりつめてこれを書いている。今日の夜までには、もうこの世にはいないだろうから。私はこの四〇三号室の窓から、眼下の汚らしい裏通りに身を投げ出すことになるだろう。とり急ぎ記すこの書きつけを読んでもらえれば、十分に理解してもらうことこそかなわないにせよ、私が死を、どうあっても必要としなければならない気持ちを、あるいは察していただけるだろう。
 私が今日、御納戸町へやってきたのは、中学の時からの親友に会うためだ。親友は半年ほど前に家庭の事情でこの町へ引っ越していった。頻繁に会えなくなったといっても、互いの親睦にはいささかも変化はなく、それならばと彼女の名字にちなんだこの季節に会いに行こうと思ったのだ。もちろん事前連絡はしていない。突然に驚かせてやりたい、ただそれだけの、子供のような私のいたずら心を、きっと彼女はぼんやり困ったような表情を浮かべながら、それでも温かく笑い返してくれるに違いない。
 そう思い描いて、この町へ足を踏み入れたとき、私は自分がどこにいるのやらさっぱりわからなかった。初めて訪れる町は異質な空気に包まれており、何やら形容しがたい、困惑の連鎖ともいうべき、甚だ首をかしげる騒ぎに陥っていたのだ。
 するうち、突然、私は見た。そいつは陽の落ちた空をのっそりと横切って姿をあらわした。アニメを思わせるそのディフォルメされた巨体は、ギャグ調にあらわれる途方もない超展開のように、ああ、なんということか、それは私の親友に恐ろしいまでに酷似していたのだった。その瞬間、私は正気を失ったようだ。
 血迷って斜面と街路を駆け走ったこと、無我夢中でこのホテルまで辿り着いたことについては、ほとんど何もおぼえていない。空耳ケーキをうたいつづけ、うたえなくなると莫迦笑いしたような気がする。
 意識をとりもどしたとき、私はうつろに考えた。これはなんだろう、中学二年のとき親友に、その場のノリで今に至るまで変わらぬあだ名をつけたことに対する怨念が形となったのだろうか。だが、私はそのとき本当に彼女の恋を応援しており、あだ名をつけたのも彼女が大切な親友であったがゆえだ。それとも彼女の恋が成就したと勘違いした私が、自分も彼氏ができたと、喜び勇んで伝えてしまったことを根に持っているのだろうか。しかし私もたった三日でその彼にフラレてしまったのだから今更蒸し返されるようなものでもないと思うのだが。
 なんにせよ、私はいま、参考になるか嘲笑の種になるかはわからないが、十分な弁明をここに記しおえた後、何もかもにけりをつけようとしているのだ。
 そうだ、そろそろけりをつけてしまおう。ドアが音をたてている。何かつるつるした巨大なものが体をぶつけているかのような音を。ドアを押し破ったところで私を見つけられはしない。その前に私はタミフルを飲んで、奇声を発しながらあの窓から転落死するのだから。いや、そんな! あの手は何や! 窓に! 窓に!



 手記はここで途切れていた。

 ふと目をやると、カーテンに閉ざされた窓。意を決し、リアが前に進み出た。ごくりとつばを飲んだ。さっと左右に開いた。そこには――

『アホが見〜る〜』

 そんな一文がでかでかと書かれた紙が貼られてあった。

「……」

 いまどき子供でもやらないようなイタズラに、こんな状況で引っかかってしまい、リアは無言で立ち尽くした。コメントが思いつかない。背後の二人も空気を読んでくれたようだ。

 ふと眼を落とすと、小机のそばにリュックサックが置いてあった。

 手を伸ばそうとしたとき、ドアの開く音がした。

「リュック忘れてたー! えへへ、香月ちゃんしっぱいしっぱい♪」

 明朗快活をあらわしたような声で入ってきた人影。十代半ばだろうか、頭の両側で黒髪をくくった少女だった。

 互いに見合わせた。先に声を出したのはその少女のほうだ。

「あちゃー、引っかかっちゃいましたか!? いやもー、ほんとにごめんなさい! でもビックリしたのは嘘じゃないんですよ? 御納戸町はたまに不思議な事件が発生する町だって聞いてましたけど、まさか自分の親友がディフォルメ巨大化してるなんて、まさに驚き桃の木山椒の木! だからついホテルに閉じこもってそんな手記ネタを……あっ、最後の文章のところ、何か気づきませんでした? 出だしで大阪から来たって書いてるのに、なんで文体が標準語なんだよーって思わせておいて、ラストの緊迫したところで、「あの手は何や!」って大阪弁が出てしまう部分、焦燥感が出ていていいと思いません? 思いませんですかちくしょーっ!」

 怒涛のようなマシンガントークにぽかんとする三者。

 しかもまだ終わる気配がないようなので、そそくさとリアが話の腰を折ってのけた。

「あのー……ご静聴できなくて申し訳ないんだけど、あなた麻生香月さん?」

「むむっ、なぜに私のフルネームを? そうか、さてはあなたエスパーですね!? こいつはしまった、ここ一年間で三度も男にフラれていまだちゃんとした彼氏ができてないなんてことがバレてしまうっ。うわー、恥ずかしいなあもう」

「えーと……あの、あなたの親友って明石焼きですよね? 本名が秋霜止の」

 途端、ハイテンションで喋りまくっていた少女がきょとんと眼を丸くした。

「手記には書いてなかったのにどうしてその名前を……あれ、よく見るとあなたの特徴……やや、もしかしてあなたがリアライズ・羽丘さんですか?」

「えと、うん、そうだけど」

「なるほど、ザ・ワールド! そして時は動き出す。――や、申し遅れました、私は麻生香月いいます。明石焼きの親友です」

 びしっと敬礼して、少女は明るくほほえんだ。



 十メートルはあろうかという白目が、眼下の見知った数名を睥睨した。

 その中に中学時代からの親友を見つけて、重低音の声が揺れた。

「わ〜、香月ちゃんや、いつこっちきたん?」

「今日や今日。突然来て驚かせたろう思うてたんやけど、こっちが驚いてもうたで〜。や、それにしてもえらい格好になってるなあ」

 感心というか若干呆れた眼差しで親友の巨体を見上げる麻生香月。

 その後ろで事の成り行きを見守るリアは、本当に彼女が事態を解決する鍵になるのか固唾を呑んでハラハラしていた。ヴィエとサイモンはどちらかというと観賞気分だ。

「ふふふ、今のあたしは新世界の神……ゴッド・明石焼きやねん。全世界が大阪化したあかつきには、香月ちゃんにはローゼン麻生ってソウルネーム付けたるわ」

「それは遠慮しときますわ。ふーん、ゴッド・明石焼きねぇ……へーえ」

「むー、なんやの、その鼻持ちならへん人を小馬鹿にしたような顔ー。言いたいことあるんならはっきり言ってやー」

「じゃあはっきり言うわ。――何が新世界の神や。あんたは甚だしい勘違いをしているっ」

 バックに「ゴゴゴゴゴ」と独特の擬音が浮かぶ。

 俗にいう『ジョジョ立ち』ポーズでビシッと指を突きつけ、

「ゴッドは英語で、明石焼きは日本語や!!」

 と、麻生香月は言った。「ドオォーーン」という擬音がどこからともなく発生した。

 すると、おお、明石焼きが悲鳴を上げて苦しみだしたではないか。形容しがたい絶叫が緩やかな割れ鐘のように響き渡り、異質な空間がぐにゃりと歪み始める。それはあたかも天上のトランペットが吹き鳴らされ、地上を襲うアーマゲドンの合図であるかのようだった。

「よし、幻夢境の物理法則を維持する楔に綻びができたみたい」

「それはいいけど、このあとどうするのよ」

 そのとき、天空から一条のきらめきがヴィエとリアの間に降り注いだ。彼方を見ると、御納戸町から距離を隔てた二箇所から、淡い光の筋が空に昇っている。ふたすじのきらめきは途中で二重螺旋のごとく絡まり合い、この町へ流れ込んでいた。

 溢れだす淡い光の根源地――それは秋葉原と日本橋のオタロード。

 アキバとバシ。根付く意識は違えども願う心はひとつ。

「わわわっ、なんだ、俺の体がふわふわとっ!?」

 突然、サイモンの身体が地上三百メートルの高みにまで浮かんだ。

「なるほど、事態の収拾まで所持者の性質に合わせたやり方になるわけね。それじゃリアさん、仕上げいくわよ♪」

「何が何だかわからないけど、オッケー!」

 合わせ鏡のように両手を向ける二人の少女。そこに集まる純然たるきらめきが、見る間に大きな光球となっていく。そして――

「サイモンくーん、みんなの想いを」

「受けとめてー」

 ヴィエとリアが最後に「えーいっ」と声をそろえて、膨張しきった光の玉を撃ち放つ。

 逆放物線を描いて飛翔したそれは、遥か高みに浮かぶサイモンの全身を飲み込んだ。

 その光景を見上げて驚愕の表情を浮かべる明石焼き。

「こ、この光は!――やらせはせへえんーっ」

 突き出した手の平から現れた通天閣が投槍のように飛んだ。先端が光球に突き刺さった瞬間、光の粒子に浄化されて塵と消える。まばゆい輝きが収まったとき、彼女達は見た。

 立体化した巨大な『萌え』という文字を両手で掲げ持つサイモンの姿!

「くらえ! 俺たちの、俺たちの……俺たちの未来をぉーーーーーーーーッ!!」

 万感の意志を乗せて放り投げられた、燦然ときらめく想いの結晶。

「コスモよぉぉー!!」

 明石焼きが両手を左右に広げると、WTCコスモタワーが彼女の正面に盾となってそびえ立つ。西日本一の高さを誇る、住之江区南港コスモスクエア地区のシンボルだ。

 しかし! 一直線に飛来した『萌え』は、三百六十度全面ガラス張り回遊式の展望台を粉砕して突き抜けた!

 その威力、その衝撃。とてつもない爆風が巻き起こり、サイモンは地上に吹き飛ばされ、ヴィエたちはナイトゴーントに掴まって難を逃れた。

 爆風が収まったとき、勝敗は決していた。

 立体化した『萌え』が、明石焼きの胸元にあるブローチ――縞瑪瑙に突き立っていたのだ。縦に亀裂が走り、パキッという音と共に真っ二つに割れた。

 凄まじい断末魔を上げて爆発炎上するゴッド・明石焼き。お約束である。

 二つに割れた縞瑪瑙の片方が、塵と化していく巨体に吸い込まれ、純白の粒子が飛沫となった。はじけたきらめきの粒が巨大化する前の少女の姿を形成して地に横たえた。

「明石焼き!」

 真っ先に駆け寄って抱き起こしたのは麻生香月である。

 うっすらとまぶたを開けた明石焼きが、ぼんやりした視界に親友の姿を捉え、

「香月ちゃん、おはよーさんやあ」

「あほかっ、今は夜やってば」

「そうなん? あれー、なんであたしこんなとこにおるん……?」

 状況を理解できずに首をかしげる。どうやらおかしくなってからの記憶は残っていないらしい。

 街全体を覆っていた異質な空間も消えた。壊れたものはすべて元通りになり、人々の記憶もきれいさっぱり失われる。今回の事件を覚えていられるのは一部の人間だけだ。

「あー、つかれた」

 どっと息を吐いてアスファルトに腰を下ろすリア。遠くでは気絶したサイモンがポリバケツの山に埋もれている。

 ヴィエが、吸収されずにすんだ、もう片方の縞瑪瑙を手にして軽く肩をすくめた。

「データもとれたし、半分残っただけでもよしとするかなあ」

 これはヴィエだけが知り得る事だが、吸収されたほうの縞瑪瑙は完全に明石焼きと同化している。

 実はレン高原の縞瑪瑙に完全に侵食された者は、それを失うと変容した体を維持できなくなる。本来なら爆発炎上した時点で明石焼きの死が確定していたのだが、『萌え』の粒子が縞瑪瑙の欠片と溶け合って、それが奇跡的にも彼女の肉体を再構成したというわけだ。

「終わりよければすべてよし、と」

 どこか楽しそうに眼を伏せるヴィエだった。

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