第8話「ゲート・オブ・ドリーム」後編


 一方的な銃弾の横雨。通路の壁を利用しながら退避するしかない状態である。

「お得意の密教真言で何とかならないの、リアさん」

「無茶言わないで、攻撃術は人に使っちゃいけないんだから。ヴィエこそお得意の魔術で何とかできないわけ?」

「何とかできないことはないけど、わざわざ相手するのは面倒」

「しょうがないわね……入ってきた鉱道に一旦身を隠して」

 どうにも色んな意味で状況が悪いとしか言いようがない。やむなくリアは二人を先導して入り組んだ通路を下へ下へと進んでいく。

「一旦もなにも、こんな所に長居しても仕方がないでしょ」

「強制労働させられてる人たちはどうするのよっ」

「そんなの知った事じゃないわよー。わたしはもう必要な物を頂いたんだから」

 手にした冊子をビラビラさせてにんまりと口端をつり上げるヴィエに、リアはこめかみに青筋を立てて唸った。

「だいたいそれ何の設計書なのよ。何の理由でそんなものを」

 追っ手を完全に撒き、カツコツと鉱道をひた歩きながら言葉を交わす。

「うるさいなあ、リアさん同様こっちにも事情があるの。――でもコレ面白いわよ、ミ=ゴの技術を取り入れたものみたいだし」

 ミ=ゴとは「ユゴスよりのもの」と呼ばれる地球外知的生物である。ユゴスとは冥王星のことであり、そこには彼らの前哨基地が存在するという。太古にユゴスから飛来した「ユゴスよりのもの」は驚異的な外科医学的、機械工学的な技術体系を持ち、彼らが地球を訪れる唯一にして最大の目的は稀少鉱物の採掘であり、協力的な地球人にはその高度なテクノロジーの一端を伝授してくれることがあるらしい。

「だから私にその辺の知識はわからないって。ただ、それのために有害な廃棄物が川に垂れ流されてるんでしょ?」

「そういや色々と投げ捨ててたわね〜。魔術が施されてたから普通に調査したんじゃ検出できないだろうけど」

 化学はあまり得意じゃないけど今度からもっと授業に身を入れようかと思い直すリアは、ヴィエが語る廃棄物の説明を聞いていくうち、こめかみが再びピクピクし始めた。

「馬鹿っ!? そんなの垂れ流したら生活用水として川の水を利用してる村人たちが重病を患うに決まってるじゃない!」

「わたしに言われても」

 素っ気なく返すヴィエ。リアの怒りは実際に深刻な病床の村人達を目の当たりにしたからいっそう燃え上がっているのだが、ヴィエはたとえそうであっても同じ反応だろう。

 それからリアは、どうしようか考え続けながら鉱道の入り口に到着してしまった。

「ああもう、やっぱり私は戻るわっ」

 このまま捨ておくわけにはいかない――それが彼女の結論だった。

「リアさんのお節介レベルは殆どビョーキだね。まあそういうところが好きなんだけど。――じゃ、わたしたちはこれで失礼するから、精々死なない程度に頑張ってねー」

「まったく……」

 リアが小言の一つでも口にしようとしたとき、鉱道入り口近くの滝から爆音が上がり、三者のそばで爆発が起きた。

「ハハハ! そうは行きませんよ、完成した正義の鉄槌を振るう最初の相手になってもらいます!」

 何かの稼動音とともに滝の中から現れたのは、全長二十メートルはあろうかという真っ赤な人型ロボット。頭部のコクピットから白衣のアメリカ人が顔を出して高笑いした。

「見るがいい! ナイトジャスティスの力をッ!」

 見上げる三者の眼が点になる。もうどこから突っ込んでいいのか分からない。

「えーと、なんで人型ロボットなの?」

「これは異な事を! 人型機動兵器は人類のロマンだからだ!」

「へえー……」

 生暖かい眼差しになるヴィエの隣で、思わず共感を抱いてしまっていたりするサイモンとリアである。後者はすぐにぶんぶんと顔を振って我に返った。

「さあて……図面見た限り、どう考えても機械の塊だろうけど」

 苦笑を交えつつ巨大ロボの前に出ると、ヴィエは右手を突き出した。手の平に燃え上がる五芒星形が浮かび上がるが、相手に変化が起きた様子はない。

「あーあ、やっぱり」

 エルダーサインは異能の力が伴わないものには効果が無い。ミ=ゴの技術を借りているといっても、眼前のナイトジャスティスが完全に只の機械であることには変わりないのだ。

 また、その攻撃もまったく普通の通常兵器なのでエルダーサインによる防御も軽減もできず、とにかく回避に徹するしかない。体が本調子なら奇術幻術を駆使して何とかできるのだが――ふと見ると、悲鳴を上げながら逃げ惑う恋人の姿が目に入った。

「ひいいっ、助けてー。カップ麺の時間が迫ってるからとか言って帰りたいーッ」

「そうだ――きゃあっ、足を滑らせちゃったあー」

 わざとらしく地面に転んで、そそる構図でスカートをはだけて見せるヴィエ。黒タイツに包まれた白のショーツが瞳に焼きついた瞬間、サイモンに揺るぎない力が湧き上がった。

「体が軽い! 鳥になったようだよ! てめー観念しろやボケがーっ!! 今の俺に勝てると思ってんのか!!」

 巨大ロボめがけて飛びかかるサイモンはさながらエネルギー充填した超人のようで、その異様なハイテンションがコクピットにも伝わったのか、ナイトジャスティスの巨体が僅かにたじろいだ。

 しかし数秒後にはボロボロになって落下するサイモンであった。

「ヴィエちゃん、俺の墓標に名はいらぬ……死すならば闘いの荒野で」

「ワンカットでやられないでよー」

 攻撃の爆風で吹き飛び、地に叩きつけられる二人。その頭上に巨大な影が下りる。

「ハハハハ! 世界は我らが合衆国の名の下に平和を感受するべきなのだ!」

 止めの一撃が加えられようとしたとき、

「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ!」

 リアの真言と同時に、稲妻がナイトジャスティスを直撃した。帝釈天の雷だ。

 その間隙を縫ってヴィエが喚起の言葉を紡ぐ。

「汝、脆弱なる大地の神々の秘密を守護する者。漆黒の体躯持ちし、<夢の国>の空を駆ける夜魔也」

 召喚された夜鬼が闇の霧を纏い、暗黒の刃と化した右腕を構える。

 同時に、紅の機体も必殺技の構えを取った。

「喰らえ、スーパーフリーダム・へヴンッ!!」

 両の拳を組み合わせて正面突進するナイトジャスティス。

「いっけえ、ハイパーオーラ斬りだあーっ!」

 漆黒のきらめきを伴って高速飛翔するナイトゴーント。

 騎士のナイトと夜のナイト。

 一瞬の交差。

 闇の刀身は半ばから破砕し、逆に、紅の機体は胴が二つに分かれた。

 爆炎に包まれる、歪んだ正義の騎士。

「やったわ! この世に悪の栄えた試しなし!」

 思わずガッツポーズを決め、声を弾ませて歓声を送るリア。

「悪の栄えた試しはないけど、悪が滅んだり善が栄えた例もないでしょ」

 渋い顔で線目になるヴィエだった。

「まあいいか、今度こそお先に失礼させてもらうわね。――こう見えて忙しいもので」

 厭らしくリアを一瞥し、黒衣の美少女は恋人と共に歩み去っていく。

 やれやれと腰に手を当てて見送り、リアは気合を入れて鉱道へ視線を傾けた。司令官が倒され、指揮系統が乱れたであろうとはいえ、はたして自分一人で摂取されている人たちを解放することができるのだろうか。それでも見捨てるわけにはいかないと、意志を後押ししながら鉱道へ足を踏み入れたリアは、そこで待っていた人物に眼を見開いた。

「リアちゃん、こんな危ない事件に一人で首を突っ込むのは感心しませんね」

 やんわりと苦笑してみせたのは、羽丘隆志であった。その後ろには、鉱場で強制労働させられていた村人たちが勢ぞろいしているではないか。

「この人たちは僕が助け出しました。あの施設はもう終わりです」

 事もなげにそう言われ、リアはただ呆然と口をぱくぱくさせるほかなかった。



「おのれ……このままではすまさんぞ」

 こっそり脱出装置で難を逃れていたアランが雪原を逃走していた。

 息を切らせながら走る彼は、前方に人影を認める。顔を綻ばせて助けを呼びかけると、振り向いたツインテールの少女が眼をパチクリとさせて微笑んだ。

「祖国を裏切り野蛮な正義の国へ寝返った恥さらしを始末したところなんだけど……敵の司令官までのこのこ出てきてくれるなんて運がいいわ」

 じっとりと瞳を細めるサニーの足下にはドロンの死体があった。警報を耳にして、祖国の追っ手か教団の刺客が来たと勘違いして施設から逃げ出した彼は、待ち伏せていた前者に殺されたわけだ。

「世界は我らがロシア帝国によって管理されるべきなのよ」

 銀のナイフが閃き、死の鮮血が噴き上がった。



 ――数日後。

 高級車から降りた三者、ヴィエ、サイモン、クドルは、隣町の豪邸に吸い込まれていった。

 中に入るとツインテールの娘が駆け寄ってきて、サイモンの手を引っ張る。

「サイモンお兄ちゃん! あたしと遊んでよー」

「えっ、いや、そんな嬉しいこと言われても……えーと」

 気まずそうに隣を見ると、

「いいから行って来たらー。その間に用済ませておくから」

 恋人の少女にヒラヒラ手を振られ、サイモンはサニーに引っ張られたまま廊下の角へ消えていった。

「さて……と」

 引越し準備の模様を呈している室内を見回していると、着替えを済ませたクドルが戻ってきた。

「お待たせしました、レディ・フヴィエズダ」

「うわぁ、盛装だね〜」

 感心を前面に出して呟くヴィエ。クドルは、かつての帝政ロシアの軍服姿をしていた。

 書棚には、ヴィエが例の施設から盗んできた設計書の他に、クドルたちがこの一年間の活動で集めた軍備関係のデータ類がずらりと収められている。

「北海道の御旅行は本当に御苦労様でした。おかげ様で私達の勤めも終えられましたよ」

 彼はロシア政府強硬派に属する組織の幹部だった。

「それで引越しの準備?」

「ええ、近いうちに本国へ引き上げるつもりです。だから……」

 ギシッと豪奢なソファが鳴った。ヴィエの上にクドルが覆い被さったのだ。

「フヴィエズダ嬢も私共と一緒に参りませんか?」

「わたし、国家の走狗になるのは御免なんだけど」

「ご安心ください、貴女のことを知っているのは私達だけですよ。上には何も知らせていません。サニーと違い私は愛国心で仕事しているわけじゃないのでね……フヴィエズダ嬢には私の個人的なパートナーになって頂きたい。そうすれば私は貴女に組織的なバックアップをしてあげられる」

 囁くように顔を近づけて可憐な唇を奪うクドル。舌を深く強く口腔でまさぐりディープキスを味わいながら、少女の胸元に手をかける。

 嫌そうに眉をしかめるヴィエへ、

「大丈夫、優しくしてあげるから」

 唇を離して微笑みかけると、器用な手つきで彼女の上着をはだけさせた。現れた黒のキャミソールをたくし上げると、そこには、まだ青い果実のような薄い乳房と、そして――

「……っ!?」

 クドルは思わず眼を剥いた。

 思い描いていた可愛らしい腹部の代わりに見えたのは、アーチ状の門だった。

 そう、門だ。お腹の部分にはアーチ門が埋め込まれていた。いや、埋め込まれているというよりは、さながら同化しているような結合ぶりではないか。

 途端、門が左右に開き、驚きのあまりクドルは大きくあとずさった。

 開かれたアーチ門には澄み渡る満天の星空が瞬いており、それはまるでこの世のものではない夜空のようで、茫然と絶句するほかない。

 そんな男を淡々と眺め、ヴィエはゆっくりとソファから腰を上げて艶然と微笑した。

「あーあ、見ちゃったね」



 別の一室では、サングラス男がツインテール娘に言い寄られていた。

「ねえサイモンお兄ちゃん、あたしあなたのこと気に入っちゃった。あたしのものにならない?」

「ひやぁ、な、ななな、なんて心にときめくような発言を!? ああでもダメダメ、僕にはヴィエちゃんというマイラバーがいるのです。残念ですがそれはお断りするほか……」

「あらー、でも今頃ヴィエさんはクドルに落とされてると思うわよ? だからぁ、恋人交換ってことでいいじゃない」

「いや、だ、駄目だよいけないよそんなの」

 サングラスでよく分からないがおそらくは苦悶の表情をしているだろうサイモンは、誘惑を振り切ってイヤイヤと体を震わせる。

「悪いけどあなたに決定権はないの。これからあたしのオモチャになってもらうんだから」

「ええっ、それはいったい――」

 サニーの両手に銀のナイフが現れたのを見て、サイモンの口が引きつる。

「あたしは魔道士なの。一度あなたを殺してから、思いのままの人形に作り変えてあげる……覚悟して頂戴」

 ぺろりと舌なめずりをした次の瞬間、銀のナイフを閃かせて床を蹴るサニー。

 突っ立ったままのサイモンの首めがけて、ふたすじのきらめきが踊り狂い、

「――なっ!?」

 しかし、驚愕の声を上げたのはツインテールの娘だった。二本のナイフはサイモンの両手に掴まれたかと思うと、パキンと難なく折られてしまったのだ。

 そして、見よ、眼前のサングラス男が、瞬く間に人の形をした何かに変貌していく様を。不快なほどに痩せこけた、角と尾と蝙蝠の翼を備える恐ろしいものの輪郭が一つ、目に入った。

 ああ、それは<夢の国>のングラネク山に住まい、穏健たる大地の神々の秘密を守護する、悪夢のような姿をした翼ある漆黒の夜鬼だった。



「これは<夢の国>へと繋がる門なの。でもただ幻夢境へ行くだけに過ぎなくてね……<夢の国>の住人となるにはあるものが必要で――まあ、わたしがこの街に来た理由なんだけど、貴方にとってそんなことはこの際どうでもいいよね」

 ふふっと楽しげにダークブルーの眼を細め、立ちすくむ美青年へほほえみかける。

「先刻の話だけどね、この先何年経っても、何十年経っても、何百年経っても……わたしのそばに立っているのはサイモンくんであってほしいの」

「く……あんな、あんな男と一緒にいて貴女に何の得があるというんだ!」

 初めて声を震わせて激昂するクドルに、ヴィエは眼を丸くした。

「恋愛に損得勘定を持ち込むなんて、無粋だよ? それにわたしは今幸せなの。サイモンくんと一緒にいるとね、とっても心が温かくなるの。すごく満たされるの。ときに泣いたり怒ったりもするけれど、楽しくて仕方がないの。これって、何よりも重要なことなんじゃないかな」

「そんな……そんなこと……なら、そんなにあれが大事だというなら、私の言うことを聞きたまえ。でないと、彼が死ぬことになるぞ?」

「残念だけどサイモンくんは数日前から東京に出かけていて、ここには来てないよ。ナイトゴーント……わたしの使役する魔物に幻術をかけて、サイモンくんに見せかけただけなの。自慢じゃないけどわたしの幻術は結構なものだから彼女にも見破れなかったと思うよ」

「なに!? では今サニーが相手をしているのは――」

「さあて、貴方は幻夢境の何処でどんな末路を迎えたい? ナスの谷で恐るべきドールの餌食となるか、レン高原でムーン・ビーストに残酷な拷問を施されるか……」

 銃声が連続で響いた。クドルが懐から抜いた四四マグナムを立て続けに撃ったのだ。

 数秒後、無傷でたたずむ少女の姿に、クドルは愕然と眼を見開いた。

「無駄だよ。門が開いたことで、わたしも貴方も含めて、この部屋一帯が夢に浸食されてるの。夢を殺すことは出来ないでしょ?」

 薄く冷笑を浮かべて、ヴィエは言った。

「決めた。貴方の最期はズィンの窖だよ――」

 刹那、美青年の体が一瞬にして少女の腹部にぽっかりと開くアーチ門に吸い込まれ、悲鳴が響く間もなくバタンと閉じた。



 ガグどもはな……ある夜その忌むべき蛮行が大地の神々の耳にとどき、地下の洞窟へと追放されたのだ。夢見る人間がガグの洞窟世界をよく走破して、その揚げ戸から立ち去れるなど、およそ考えられぬこと……追放の身の上なれば、光にあたれば息絶えるためズィンの窖に棲み……夢見る人間こそガグどものかつての常食にして、斯様な夢見る人間の甘美なることを謳う伝説の途絶えることはないのだ。

 その犠牲者が、また一人――



 本物のサイモンが帰ってきたのは翌日の晩だった。

「ヴィエちゃん、ただいま」

「お帰りサイモンくん。イベント楽しかったー?」

「ああ、今回はいいものが多くて豊作だったよ」

 サイモンが床に下ろした複数の紙バッグには、主にB5判の薄っぺらな本が沢山入っていた。彼は夏コミという日本最大の同人誌即売会に一般参加してきたのだ。

「ふーん、サイモンくんこういうのが好きなんだ」

 バッグの中から数冊を取り出してパラパラ眺めるヴィエ。十八禁のものが多く、俗に萌え系美少女系と言われる内容の同人誌が殆どだった。

 あわてて隠そうとするサイモンの手を掴み、ヴィエは彼のサングラスを外した。

 意外に精悍な恋人の素顔をじっと見つめるダークブルーの双眸。

「純愛が好きなんだね」

「あ、ああ……無理矢理なんてもってのほか、ピュアーなラブこそが俺の求める愛さっ」

「そっかあ。じゃあ楽しみにしてるね? サイモンくんが求めてきたら、いつでも応えてあげるから♪」

 含みのある言葉に気が動転してあたふたするサイモンに、くるりと背を向け、ヴィエは愉しそうに満面の笑顔を浮かべた。

 いつかくるそんなときをそっと夢見るかのように。

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