第7話「ゲート・オブ・ドリーム」前編


「普段はテレビや映画の観賞、書物の拝読などを嗜んでおります」

「まあ、どのようなものをお読みになられているのですか。文学的なものや詩集とか?」

「そうですね、太宰治とか川端康成などを……ああ、連れを探しておりますので僕はこのあたりで」

 嘘八百を並べ立て、ぎこちなく頭を下げたサイモンは、そそくさと席を立つと会話の華やかなその場を後にした。白の高級なスーツでかろうじて僅かな品を出しているサイモン・コウは、内心冷や汗たらたらで紳士淑女の集う会場内を足早に歩いていた。

「うう、財界の人間が集まるパーティなんて俺には向いてないよ……ヴィエちゃん何処にいるんだー」

 きらびやかな盛装を纏った、いかにも上流階級といった面々が、広く豪奢な会場内の各所でおのおの自由に雑談、食事、カードゲーム等を楽しむ只中を、およそ似つかわしくないこと甚だしい庶民全開の自分を実感しながら恋人の少女を探すのだが、なにしろ人が多いため見つけることができない状態だ。

 そのときヴィエは、黒のサテンドレスという盛装で、会場の一角にある席にて年代物のワインを片手に、ひとまわりふたまわりも歳の離れた数名の男女と談議に興じていた。

「それにしましてもミス・フヴィエズダにおかれましては、この一年余りの業績著しく、心から祝辞申し上げます」

「いえ、これもたまたま先見の明に恵まれていただけです。諸方から格別のご援助を賜らなければ今の安泰はありえませんもの」

「ご謙遜を。ロンダルキア殿がお亡くなりになって傷心さもあらぬところ、そのお歳でこの短期間にて持ち直すばかりかさらなる好調、まさに感心の極み」

「お褒めに預かり光栄です。若輩者ゆえ何卒お手柔らかにお願い致しますね」

「――お邪魔してよろしいですか、レディ・ウビジュラ?」

 新たに席に入ってきたのは二十代後半らしき青年だった。切れ長の眼に端正な顔立ちとかなり美形だ。

「ウビジュラ嬢は稀覯の類に精通していて博識で、不思議な術も時折見せて下さるようですが、どんな秘密をお持ちなのですか?」

「さて、マジシャンもタネや仕掛けの開発には与り知らぬ努力をしておりますゆえ、天性の才能とはかけ離れた似非奇術師の我が身としましては、幼くして奇抜な趣味に没頭しているディレッタント扱いが相応かと」

 可憐な微笑を浮かべるヴィエに対し、青年も口もとに手を当てて笑みを形作った。

「韜晦なされるのですね。私は興味本位の酔狂な人間ではありませんよ」

「さて、自身の趣味嗜好以上の秘密は覚えが無いつもりですけど……」

 顔色一つ変えず眼を伏せるヴィエ。そこへ、金髪ツインテールの娘が青年の脇に立った。

「クドル、帰りましょ」

 横目で見やり、ヴィエは軽く眉根を寄せた。

 体内のエルダーサインがツインテールの娘から微量な魔力を感じ取ったのである。

「ではレディ・ウビジュラ、私達はこれで失礼いたしますので……近いうちにまたお目にかからせてもらいます。――ごきげんよう」

 丁寧に別れの挨拶をして席を離れる青年と少女。

 眉を寄せたまま見送ったヴィエは、名前くらいきいとくべきだったかなあと思った。



「貴公らの助力を受けられるとは、今回ほど僥倖を感じたことはありません」

 どこかの豪邸の一室で、クドルが恭しく礼を述べる。

 彼の眼前には服装も国籍も違う、異質な空気を漂わせる三者が立っていた。

「フヴィエズダの情報は役に立ったでしょう? あなたの申し出を断れはしないはずよ」

 紅く染まった着物を身につけた和風の美女が、艶やかに笑む。

「ドロンはぼくたちにとっても裏切り者の逃亡者だからね。確実に始末してもらうよ」

 金髪碧眼の美少年が高圧的に嘲笑する。

 そして、右目にモノクルをかけ、灰色の髪をオールバックに纏めた恐ろしく顔色の悪い中年男が、無言で鋭利な眼光をきらめかせた。

『星の智慧派』面々の偉容に、クドルはごくりと唾を飲んで汗を垂らした。



 御納戸町の住宅街外れに建つ大きな洋館。

「ヴィエちゃん、新聞ここに置いとくよ」

「んー」

「それにしても一昨日の夜会は緊張で胸が飛び出しそうだったよ」

「ふーん。サイモンくんはほんと小心者なんだから」

 適当に返事するヴィエは、細い丸眼鏡をかけて何がしかの作業に没頭していた。眼前に浮かぶ1/8スケールの漆黒の怪物らしきホログラフィを眼鏡越しに凝視しては、ぶつぶつ言いながら手元の羊皮紙に難解な方程式を書き込んでいく。

「ところで、さっきから何やってるんだい」

「ナイトゴーントの調整。わたしが使役するナイトゴーントは特殊な性質を付与してるから、定期的に調整しておかないとおかしくなっちゃうの」

 そう説明して眼鏡を外したとき、玄関のチャイムが鳴った。

「御機嫌よう、レディ・ウビジュラ」

 客室まで案内されたところで優雅に会釈する美青年。

「これは、本当にまたお目にかかれるとは思いませんでしたね。ご用件を伺いましょう」

「その……失礼を申し上げますが……ウビジュラ嬢、貴女と二人きりというわけには参りませんか? いえ、彼を信用していないというわけではありませんが」

 チラリとグラサン男を見やっての申し出。少し沈黙したヴィエは、アイコンタクトで恋人を促した。

「それじゃあ、俺は向かいの部屋で休んどきます」

 込み入った話は苦手なサイモンが素直に応じて部屋を出ていった後、

「――それで、わたしのような年端もいかない女の子に何の御相談ですか?」

「この国の最北端へ……北の僻地へ、ちょっとしたスリルを味わえる御旅行は如何ですか。チェコ第五の魔道士さん?」

 意味ありげな笑みを投げかけてくる青年に、ヴィエはやんわりと眉根の皺を深めた。

 一方、向かいの部屋に入ったサイモンはツインテールの娘と鉢合わせていた。

「――初めまして、あたしはサニー・ミハルトン。貿易商を営んでいるクドリャフカ・ドライアン様の秘書をしているの。どうぞよろしく」

「愛の戦士サイモン・コウと申します。フフフ、僕が挨拶した美少女はあなたでちょうど百人目ですよ、美しいお嬢さん」

「わあ、面白いひとー。サイモンお兄ちゃんって呼ばせてもらうわね」

「ふおうっ! おおお、お兄ちゃん!? なんて素敵な響きだい!」

 一気にアドレナリン増大で今にも踊りだしそうなサイモンである。

 そこへ、青年を連れたヴィエが入ってきた。

「サイモンくん、旅行鞄を出して旅支度を手伝ってくれるかな。真夏だけど体感的に冷える旅になると思うからそのつもりでね」



 北海道の辺鄙な雪山、その麓にある小さな村に金髪碧眼の少女がいた。

 リアライズ・羽丘。日本人とアメリカ人のハーフで、小学生にも見えるほど幼い容姿だが十七歳の少女だ。

「それで、病床の原因を取り除いてほしいと……ううーん、私は医者じゃないんだけど、何か怪異が関わっているって根拠はあるんですか?」

 埒外のことにはどうしようもない。困ったように訊くと、老婆は首を縦に振って答えた。

「村中に病が広がったのは去年の暮れ頃から……生活用水は井戸と小川を使っております。それが原因ではないかと、一度村中でお金を出し合って調査を頼んだことがあるのですが……水源のほうには何もないと言われそれっきりです。それに、この村の男たちは山で生計を立てておりますが、随分と前からぽつりぽつり山へ入ったまま戻って来ない者がおりまして、今ではほとんど……この人里離れた村が孤立した一因です」

「その、水源と山はどちらに?」

「両方ともに同じ場所です」

 老婆の指差した方角に向けて、リアは印を結んだ。

 何やらドーム上の靄が彼方に見える。魔術による結界らしきものだろうか、少なくとも常人には感知できないものが絡んでいるのは確かなようだ。

「わかりました、結果は保証できませんが、調べてこようと思います」

「おお……ありがとうございます。このお礼はきっと……」

「それは遠慮しておきます。ひとつ、ボランティアということで」

 にっこり笑った少女に、老婆は感涙で震えるばかりだった。



 雪山の木々に紛れて口づけする一組のシルエット。そのまま少女の胸にかかった男の手は、さらりと取り払われる。不意打ちでキスされたにも関わらず、ヴィエは冷静そのものの態度だ。

「このロリコン」

「自分につりあう相手なら年齢は問わない主義でして」

 いたずらっぽくペロリと舌を出す美青年に、ヴィエは呆れた眼差しを送った。

「一応彼に気を遣ったつもりなのですがね」

「そんな気をまわさなくていいよー。わたしとサイモンくんの愛の絆は深いんだから」

「これは手厳しい。――で、何かご覧になられますかフヴィエズダ嬢?」

 手渡された望遠鏡で雪原の向こうを確認するヴィエ。

「大きな研究施設みたいなのが見えるけど」

「やはりそうですか。残念ながら私の目には何も映りません」

「魔術隠蔽が施されてるしねー。で、あそこまでどのくらいかかるの?」

「さて、目測からすると半日程ではないでしょうかね」

「まったく、こんな小さな女の子によくもまあ肉体労働を……」

「スリルを堪能できる旅行と申し上げたでしょう? ではそろそろ下のロッジへ戻りましょうか。そこで私とサニーは待機しておきますから、後は貴女にお任せします」

「はいはい」

 白い息を吐きながら、二人は雪の斜面を下っていった。



 純白の雪原に続く二つの足跡。大人と子供のものだ。

「はっくしゅん!」

 大きなくしゃみをひとつ上げ、ヴィエは鼻をすすって小さく唸った。

 さすがに健常な成人の男だけあって体力に余裕があるのか、サイモンは先を歩いている。

「ねえサイモンくん、ちょこっと休憩してかない?」

「……その、ここでかい?」

 見渡す限り雪山雪原が広がるばかり。何も言えず、さすがに苦笑いする少女。

「ヴィエちゃん、なんでこんな仕事引き受けたんすか?」

「事情があってね、断ると面倒なことになりそうだったから。……うう、怒ってる?」

「怒るとかそんなんじゃなくて、とにかく寒いんだー!」

 ガクガクと震えながら叫ぶグラサン男。ヴィエも同感であった。

 ――唐突に、銃声が二発。

「ヴィエちゃん!!」

 サイモンの声は殆ど絶叫に近い。

 当然だ。目の前で恋人が頭と胸を撃たれて前のめりに倒れたのだから。

 倒れ伏した部分から赤黒く染まっていく雪面。少女の後頭部から脳漿が噴出しているのを見て、サイモンの脳裏に絶望がよぎった次の瞬間、

「ナイト……ゴーント」

 どう見ても即死のはずの少女が喋ったのだ。

 その声に応えて空中に出現した顔の無い漆黒の夜鬼が音もなく飛翔し、遠く離れた位置にいる数名の狙撃者へ突っ込む。高速で迫る怪物の姿に驚き、兵士姿の男たちは慌ててライフルを構え直すが、夜鬼の起こした突風による雪弾と風圧を全身に叩きつけられ息絶えた。

 サイモンは信じ難い光景を目の当たりにした。荒い息を上下させながら、雪に両手をついて上体を起こしたヴィエの、その頭部と胸部がゆっくりと再生していく様を。

 ヴィエは命の身代わりとなる秘術を自身にかけていた。セラエノの大図書館で得た知識を応用したもので、即死の場合に限り、自動的に身体の蘇生と再生が開始されるのだ。但し重ねがけはできず、一日に一度しか使えない。

「ヴィエちゃん、よかった……それにしても敵はいったい?」

「見張りの私設兵でしょ。あの施設でなんか危ない実験でもやってるんじゃないかな」

 周囲に設置されていた他の狙撃兵を、本部へ連絡させることなく全滅させたナイトゴーントを送還したところで、二人はホッと一息ついた。

「ごめんサイモンくん、十分ほど仮眠取らせて……蘇生後はすごく疲れるみたい」

 そのままふらっと意識を手放した少女を咄嗟に抱え、近くの木陰に移動するサイモン。

 ヴィエを木にもたれかけさせたとき、背後に人の気配を感じてバッと振り向いた。直後、思わず「あ」と漏らしたのは、それが見慣れた人物だったからだ。

「……なんであんたたちがこんなところにいるのよ」

 と、リアは言った。



「よし、これでいくらかよくなったでしょ」

「ありがとうリアさん! やっぱりもつべきものは友達だねー」

「誰が友達よ……」

 目覚めたヴィエに体力活性の術を施したリアだが、さっきまで失神していた者の言動とは思えない態度にさっそくげんなりする。

「ところでリアちゃんはどこへ行くんだい」

「大方、行き先は同じと思うけど」

「ならわたしたちと一緒に行かない? 旅は道連れ世は情け、縁は大事にしないとね」

「……そのほうがよさそうね」

 ここは同行するほうがいいと判断した。勢い込んで村人達の依頼を受けたが、明らかに自分の手に負える範囲を超えているような気がしたからだ。

 しかし今更引き返すわけにはいかない。必要だと感じたら協力する程度にはリアも柔軟な思考ができた。



 施設地下の巨大な動力炉を前に、眼鏡をかけた白衣の中年男がけらけら笑った。

「ハハハ! ついに完成だ。これもアナタが魔術で呼び出した未知なるモノの超技術を提供してくれたおかげです!」

 その陽気なおめでたさに、防護服に身を包んだ中年の魔道士は陰鬱とした顔をした。

「ドクター・アラン、君はこんなものを造って一体何をするつもりなのだ……コレは遊びで使用する範疇を超えた代物だぞ」

「ドクトル・ドロン、キミの心配は無用ですよ。これは我等が合衆国の正義の鉄槌となってこの世からあらゆる争いを無くす力になるのだから! そしてそれが成った暁にはキミとワタシが今世紀最大のヒーローとして称賛されるコトでしょう! ハハハ!」

「……」

 ドロンと呼ばれた男は、自身が過ちを犯したのではないかと思った。行き過ぎた強硬派に嫌気が差して祖国を裏切った筈だったのに、加害者意識の欠如も、病的な自己顕示欲も、これではまるで変わらないではないか。

 密かに入信していたある教団からも逃げてきたというのに。

 そんな男の心情など微塵も知らず、白衣の科学者は下の鉱場を見下ろして憂鬱につぶやく。

「それにしてもこの島国は隷国だけあって空気が悪い。早く母国へ帰りたいものだ」

 鉱場では上半身裸の男たちが足に鎖をつながれて強制動労を強いられていた。近隣の村から拉致されてきた群人に他ならなかった。

 その頃、施設内の一室ではヴィエがあれでもないこれでもないと呟きながら、室内の書物や書類を片っ端から物色しており、リアは呆れるばかりでそれを見ていた。

「……しかし、よくこんな所まで潜り込めたものよね」

 まるで軍施設ともいえる場所の内部に無傷で辿り着けるとは。自分も幾分か協力したとはいえ、ヴィエの能力の高さには無駄に感心せざるをえない。

「――お、あったあった」

 ヴィエが手に取ったのは何かの設計書らしき冊子だった。

 そのとき、けたたましい警報音が鳴った。

「侵入者だーッ」

 遠くから響く兵士の声。

「ごめん、ちょっと我慢できなくて近くのトイレ借りたんだ……」

 すまなそうに告白するグラサン男に、二人の少女は口をつぐんでジト汗を垂らした。

 続々と集まってくる私設兵たち。その手には自動小銃が構えられている。

 警報音を耳にし、地下の炉にいたアランが盛大な高笑いを上げた。

「敵か! ちょうどいい、正義の鉄槌を試用できるぞ!」

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